2019年の参議院議員通常選挙における広島県選挙区での河井案里氏当選の背景に、100人の関係者に対し2871万円に及ぶカネの「ばらまき」が行われていたことが発覚した事件は記憶に新しいだろう。広島のみならず、日本中を政治不信の渦に巻き込んだ「大規模買収」はいかにして起こったのか?
中国新聞「決別 金権政治」取材班による事件レポ『ばらまき 河井夫妻大規模買収事件 全記録』(集英社)は、当事者である河井克行・案里夫妻の来歴から事件の「真相」まで、その全貌を明らかにした一冊だ。ここでは同書より一部を抜粋し、河井克行氏の政治家としてのキャリアについて概観する。(全2回の1回目/後編を読む)
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頭は切れる。ただ、性格は悪い
大規模買収事件を起こし、永田町に波紋を広げた河井克行、案里夫妻。出世の階段を駆け上ってはいたものの、政界の大物とは言えず、全国的な知名度はない。地元広島でも、閣僚や自民党の要職を歴任した岸田文雄や宮沢洋一と比べると、政治家像はあまり知られていない。中国新聞に寄せた本人の発言や関係者の証言などから、その歩みをたどる。
克行は1963年3月11日、瀬戸内海に面した広島県三原市に生まれた。幼少期に広島市安佐南区に転居している。克行は薬局を営む両親の下、政治の世界とは無縁の家庭で育った。元秘書は「家族4人暮らし。何もないところから政治家を目指した」と振り返る。この安佐南区が後々、妻・案里とともに「政治家夫婦」の地盤になっていく。
県内随一の進学校、広島学院中・高を経て慶応義塾大学法学部政治学科に進学。専攻は東南アジアの国際政治。卒業後、政界への人材を輩出する松下政経塾へ進んだ。
中国新聞の紙面に登場したのは、23歳の時だった。入塾した動機をこう語っている。
「若者にはもっとチャレンジ精神があってもいい。広島に帰って地域のために役立ちたい」(86年7月12日付 中国新聞)
在塾期間のうち1年間は米国に留学し、オハイオ州のデイトン市行政管理予算局で国際行政研修生となった。帰国後、26歳の時には中国新聞の取材に米国での経験を踏まえ、政治への熱い思いを述べていた。当時、政界はリクルート事件に揺れ、政治不信が巻き起こっていた。
「日本人は政治家の腐敗を目にしても諦めを抱いてしまう。政治を動かすのは、私たち一人一人である」(89年4月17日付 中国新聞)
90年4月まで同塾で政治を学んだのち、91年4月7日投開票の広島県議選に最年少の28歳で自民党から立候補(広島市安佐南区選挙区・定数4)。若さを売りに真っ白な短パン姿で選挙カーと一緒に走って話題をさらい、2位で初当選を果たした。古い政治土壌に風穴を開けてほしいとの期待が寄せられた。
県議1期目の任期中だった93年、より大きな舞台を求めて中選挙区制の旧広島1区から衆院選に初挑戦。自民党県連の頭越しに党本部の公認を取り付けてのものだった。克行の選挙戦での第一声は、こんな「身内批判」から始まっている。