パワハラ気質
再起を期した03年の衆院選。広島3区に現職の増原と元職の克行がいる自民党は同根対決を避けるため、2人を衆院選ごとに小選挙区と比例代表で入れ替える「コスタリカ方式」を採用した。克行は比例代表中国ブロックの候補者となり、返り咲きを果たした。
「郵政選挙」と呼ばれた05年の衆院選では、克行が広島3区の候補になった。公示日の第一声では「争点ははっきりしている。改革か、停滞か。日本の平和と繁栄を考える候補を選ぶのか、既得権益を守ろうとする候補を選ぶのか。郵政民営化が最大の争点」と訴えた。
選挙は小泉純一郎が率いる自民党が圧勝し、克行も3選を果たした。07年8月、第1次安倍改造内閣の法務副大臣に就任した。法務大臣は、関係が近い鳩山邦夫。克行は「治安の確立などのさまざまな政策課題の実現に全力を尽くす」と表情を引き締めた。
その後、総理大臣が1年ごとに代わり、自民党に逆風が吹き寄せた。そんな中、国会議員の世襲制限などを検討した09年5月の有志議員の勉強会で、克行は「世襲制限はやって当然、やらないと大変。自民党はこれくらいの自己変革もできないのかと疑われる」と危機感を前面に出して実現を訴えた。
その年の夏の衆院選で、自民党は惨敗して野党に転落した。広島県内の小選挙区も、自民党候補は1区の岸田を除いて全敗した。ただ、克行はコスタリカ方式の“恩恵”で比例代表中国ブロックの自民党名簿順位単独3位の候補だったため、4選を果たした。
【続きを読む】“河井夫妻大規模買収事件”の背後に見え隠れする根深すぎる自民党の“金権体制”…ばらまかれたカネの「奇妙な共通点」とは