2010年ごろから始まったアイドル戦国時代で、ももいろクローバーZやでんぱ組.incなどのグループがブレイク。そのなかで、2013年に「復活」したのが新生・東京パフォーマンスドール(TPD)だ。
先代のTPDは、90年からノンストップで歌とダンスを繰り広げるダンスサミットを原宿RUIDOで定期的に開催し、口コミでファンを増やして、日本武道館2Days公演や横浜アリーナ公演を成功させたグループだ。篠原涼子や市井由理、穴井夕子が所属していた。
新生TPDは先代のダンスサミットを引き継ぎ、さらにプロジェクションマッピングを導入することで最先端のアイドルを表現した。個々のポテンシャルも高く、なかでも小林晏夕(現・広瀬晏夕)のしなやかなダンスは目を惹いた。
新生TPDはアイドル戦国時代の台風の目になろうとしていた……。
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「幼稚園の頃はミニモニ。が好きでしたが…」
――広瀬さんは小さい頃にアイドルを観ていたんですか?
広瀬 幼稚園の頃はミニモニ。が好きで、よく歌っていたことを覚えてます。ただ、小学生になってからはファッション雑誌のキッズモデルを始めて「ランウェイを歩きたい」という気持ちが強くなったので、「アイドルになりたい」というのはありませんでした。
――キッズモデルになった経緯を教えてください。
広瀬 10歳だったかな、友達の家にお泊まりした時に『ニコプチ』を読んで「小学生がこんなにオシャレを楽しんでいるんだ!」と驚いたんです。
クラシックバレエの発表会で人前に立つことが好きだったんですけど、芸能界に入るつもりはなくて。でも、『ニコプチ』のモデルオーディションのページを見た時に直感が働いて、両親も「サポートする」と言ってくれたので、ダメもとで応募したんです。
結果的に、グランプリは獲れなかったんですが、読者モデルとして『ニコプチ』に呼んでもらえるようになって、読者モデルの神7に選抜されました。気づけば、同世代の子から毎月100通くらいファンレターが送られてきて、アメーバブログの小学生ランキングで何度も1位になったんです。
「中学校に入ると、同じクラスに地元・静岡のローカルアイドルが…」
――その頃、学校ではどんな存在だったんですか?
広瀬 読者モデルをやってたからスクールカースト上位に思われがちですが、そんなことはなくて。学校では目立たないようにしていました。
――同級生からの“やっかみ”はありました?
広瀬 当時のことは記憶がないというか、忘れたいんです。酷いイジメに遭っていたわけじゃなくて、口をきいてくれないとか、そのレベルなんですけど。中学校に入ると、同じクラスに地元・静岡のローカルアイドルのメンバーがいて、まだデビューしていなかった私はそういったことから比べられることもありました。