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「東京パフォーマンスドールというグループに入ったと母に話したらすごく驚かれてて…」元アイドル(23)が“スタートにたった日”

元東京パフォーマンスドール広瀬晏夕さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2022/01/23

――「1×0」の演出は、東京2020パラリンピック開会式が話題になったウォーリー木下さんでした。

広瀬 ウォーリー木下さんはすべてにおいてストイックな方で、メンバーの意識を高めてくれる方でした。TPDとのつかず離れずの距離感が心地よくて、メンバーが素直な意見を言いやすい環境を作ってくださったんです。パラリンピックの開会式で素晴らしい演出をされた方とお仕事ができたことは誇りに思います。

――「1×0」ではプロジェクションマッピングが導入されていて、当時の最先端の演出だったと思います。

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広瀬 いまでこそいろんなアーティストの方が取り入れていますけど、映像との融合はかなり早かったと思います。いろんな人に知ってほしい……いまでいうと「バズってほしい」気持ちがありました。

――ライブは「ダンスサミット」と呼ばれるノンストップでのパフォーマンスでした。

広瀬 先代TPDの武道館ライブの映像を観て、「私たちはこんなすごいことに挑戦するんだ」と唖然としたことを覚えてます。ノンストップなので早着替え、MCもないし。ただ歌って踊ればいいだけじゃなくて、それぞれの動線を把握して、ひとりでも間違えたらすべてが狂ってしまう状況だったので、緊張感は高かったです。

 ただ、他のアイドルのライブをほぼ観たことがなかったので、ノンストップでパフォーマンスすることが普通だと思っていたんです。当時は目の前のことに必死でした。

「寄せよう」ではなく「自分の色にしていきたい」

 

――先代TPDにはどんな想いがありますか?

広瀬 先代の方たちがいてこその新生TPDで、最初から先代のファンの方たちが「当時の曲が聴ける」とライブに来てくださって、定期的に公演を行なっていたシブゲキ(CBGKシブゲキ!!)がある程度埋まった状態からスタートできたことは幸運だったと思います。自信を持つことができたし、「もっといいパフォーマンスをしたい」という向上心につながったんです。環境に感謝してます。

――先代のファンの方たちの目は厳しくなかったですか?

広瀬 少しでも「違う」と思われたら離れていってしまうだろうし、ガッカリさせないようなパフォーマンスをしようと心がけていました。

 かといって、「新生」としての色をなくすことは違うなと思って。「いいところは継承して、自分たちの色に塗り替えていきたい」という想いだったし、みなさんもそんな私たちを応援してくれていたんです。いい意味で先代を意識することなく、「小林晏夕」としてパフォーマンスしていました。穴井夕子さんの楽曲のリアレンジを歌わせていただくことが多かったんですけど、「穴井さんに寄せよう」というのはなくて、「自分の色にしていきたい」と思っていたんです。

写真=川しまゆうこ

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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