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「普段エゴサはしないけど、誕生日の時だけ自分の名前を調べるんです」

――お休みしていたから、精神面含めて体調を心配しましたが、大丈夫でしたか?

広瀬 精神的にはキツい状態でした。人に相談せず、ひとりで抱え込むタイプなので……。お休みしていた時期は実家に引きこもっていました。ただ、活動休止中は退団を考えてなかったんです。

――卒業ライブができなかったことに後悔はありませんか?

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広瀬 私は卒業ライブをやりたいと思っていたので、悔いが残ってます。いまは吹っ切れているけど、同じ時期に卒業ライブができた2人と違って、メッセージを書いた紙だけで終わってしまって。

 ただ、そのメッセージを読んで私の復帰を待ってくれたファンの方もいるので、それだけでもよかったなと思います。普段エゴサはしないけど、誕生日の時だけ自分の名前を調べるんです。ファンの皆様からのお祝いメッセージに「まだ待ってくれているんだ」と励みになりました。

 

退団後、他人のお金に初めて触って…

――TPD退団後、地元のカフェで働いていたんですよね。

広瀬 退団後は2年間、表舞台には出ずにSNSもやっていなかったんですけど、ファンの方が見つけ出したみたいで(苦笑)。当時は芸能活動を再開しようとは考えてなくて。本当に何をしたいのか、将来どうなりたいか、自分と向き合う時間がほしかったんです。

 まだ18歳で選択肢はたくさんあるし、社会経験もなかったので、地元のカフェでアルバイトを始めたんですけど、他人のお金に初めて触って、「こうやって経済は回っているんだ」と感じました。東京にいた時は学校とレッスン場と寮しか知らなかったので、社会の仕組みがわかったというか。

――別の形でアーティスト活動をしたい、という気持ちはなかったんですか?

広瀬 最終的な目標として歌って踊れるアーティストになりたいというのはあったんですけど、すぐに何かをやりたいというのはなかったんです。ただ、レッスンは続けていました。

 

「人生って何が起きるのかわかりませんね(笑)」

――20年に「広瀬晏夕」として芸能活動を再開します。

広瀬 芸能活動をしていない2年間でサッカーや格闘技といったスポーツ観戦が好きになったんです。なかでも朝倉未来さんのYouTubeチャンネルを登録者数が5000人くらいの時から観ていて。そこからRIZINに興味を持つようになったんですけど、大晦日の放送で選手たちの後ろに映るRIZINガールの凛とした姿にビビッときて、オーディションに挑戦したんです。

――そのオーディションは事務所のバックアップがあったわけではなく?

広瀬 当時は事務所に入ってなかったんです。RIZINガールはプロアマ問わないオーディションだったので応募できました。

 SHOWROOMの配信を観た方が投票するシステムだったんですけど、2回目の配信でファンの方が見つけてくださって、たくさんの「おかえり」という声をいただきました。そのおかげでぶっちぎりで選ばれて、毎年楽しみにしていたRIZINのリングに上がることができました。人生って何が起きるのかわかりませんね(笑)。