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3人が揃ってることがクソ恥ずかしいよな。胸はギュッとくるけれど

 全員1973年生まれですよね。地元の同級生たちが上京して人前で話をするなんて、あんまりないですよね。

岡宗 和光とか慶應だったらありそうだけど。芸能一家の子供とかさ。でも、俺らド公立のフツーの奴やん? それでこんなことやってるのはあんまりないよね。今日は地方に行ってて来られなかったんだけど、キヨちゃん……清野茂樹ってアナウンサーも同級生だったのよ。

ナオヒロック キヨちゃんは、格闘技や相撲の実況やったり。

ナオヒロックことよっちゃん

JxJx ももクロのライブでナレーションやったり、ラジオ番組やったり。

岡宗 今日、この3人が揃ってることが、クソ恥ずかしいよな(笑)。胸はギュッとくるけれど。『煩悩ウォーク』にも書いてるんだけど、『スタンド・バイ・ミー』が流行ったとき、映画と同じように死体探しの旅に出ようってことになってさ。あれ、俺が言い出したんだっけ?

ナオヒロック たぶん。そんなん言い出すのは大体シュウゴやったから。

岡宗 そしたらお母さんに怒られてな。

JxJx そうそう。僕らの住んでいたのは、神戸の須磨区なんですよ。

岡宗 校門圧死事件とか、酒鬼薔薇事件があったあたりや。

ナオヒロック 今日は、それは言わんとこうと思うとったのに。

ジャージがカッコいいと思ってたわけで、カルチャーショックですよ。神戸の小学生カッコいいなと

JxJx ダークなほうはね(笑)。ちなみに当時、神戸市はすごく勢いがあって、ポートピアがあって、街もピカピカで、市営地下鉄に自動改札ができたのも、たぶん東京より早かったですよ。僕らが住んでたのは、神戸市が造成で山を切り崩してできたニュータウンで。自然もまだ残ってて『スタンド・バイ・ミー』みたいなことがやりやすい環境だったんですよね。

 みんなをそそのかして「死体探しに行こうよ」みたいなことを、ずーっと仕事でやり続けているのが、岡宗秀吾という男なんです。子供のときから変わってないんですね。

岡宗 本人的には細かくアップデートしてるけどな(笑)。

JxJx 子供の頃から周囲を巻き込む力というのがすごくあったんですよ。僕は小6の頃、千葉のニュータウンから須磨区に引っ越して、よっちゃんのクラスに入ったんです。よっちゃんとは洋楽の話が合って仲良くなったんですけど、千葉の小学生は、漫画でいうとジャンプ系の『キャプテン翼』とかが人気で、ファッションも、アディダスとかプーマとかがカッコいいとされていたんです。でも神戸に引っ越したら、違った。まず、格好がジャージじゃない。ジーパンなんですよ。

ナオヒロック ボブソンね。

JxJx でもアメカジなんですよ(笑)。足元はコンバースのオールスター、しかもハイカット。

ナオヒロック オールスターのハイカットをさ、ちょっと折るのよね。それで紐を後ろで結ぶの。あれ、シュウゴが一番早かったよね。どこであの技、仕入れたのかね?

JxJx でもこっちはジャージがカッコいいと思ってたわけで、カルチャーショックですよ。神戸の小学生カッコいいなと。

岡宗 神戸には舶来物があったのよ。関東でいうと、横浜なのよ。だから、ハマッ子やと思ってしゃべってください(笑)。