裁判官や弁護士、検察官などのいわゆる「法曹界」は、近年では女性の比率が2割程度まで増えたものの、いまだ男性が多数を占める業界だ。少数派として奮闘する女性たちが経験している困難にはどのようなものがあるのだろう。
一子を抱える主婦だったが、離婚を機に子育てをしながら司法試験に合格し、弁護士となった中村久瑠美氏の『あなた、それでも裁判官?』(論創社)では、法曹界の雰囲気が赤裸々に語られる。ここでは同書の一節を引用し、かつての法曹界における男女差問題について考える。(全2回の2回目/前編を読む)
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静まり返った刑事裁判官室
私が配属された刑事裁判部の柳田部長(裁判長、仮名)は、いつも背を真っ直ぐ伸ばし、見るからに謹厳な老紳士だった。当時は老紳士と見たが、50歳をひとつふたつ出たくらいで、現在の私よりも若かったはずだ。ひよっこの修習生の目から見ると、裁判長といえば大御所。自分たちと同じレベルの話などなさるとは思えず、近づき難い雰囲気があった。
毎朝「おはようございます」と挨拶をして机に向かう。夕方5時になれば「今日も一日、ありがとうございました。今日はこれで失礼します」と言って退出する。部長と口をきくことなどほとんどなかった。一日中シーンとした執務室で、ひたすら事件の記録を読み込むのである。
裁判官は毎日法廷に立つことはない。月水金とか火木土(土曜日は出勤したが、開廷はすでになくなっていたかもしれない)とか、法廷の日は、その所属する部によって大体1日おきに決まっている。法廷のない日は終日裁判官室にこもり、記録読みや判決起案をするのである。
元・夫のいた札幌地裁では、法廷のある日以外は宅調日(編集部注:自宅で仕事をする日のこと)があったが、東京地裁では宅調日をとる裁判官はいなかった。「宅調日に1日おきに家に居られるのはかなわない」と妻たちからの評判が悪いから廃止されたのだ、とも聞いた。あるいは、戦後のある時期に裁判所の建物も不足していて机を置く余裕もなく、1日おきの出勤にしないと裁判官たちは机が使えない。そのため宅調日ができた、という説も耳にした。
宅調日制度は、すでに昭和50年代初めには東京地裁では姿を消しており、その宅調に当たる日はじっと裁判官室の机に向かって記録を睨み、会話はなにひとつなく集中するのが模範的裁判官とされていた。
柳田部長はまさにその典型で、一日中ムダ口はきかず、朝と帰り以外は目さえ合わせることもなかった。話し好きで、修習生をつかまえては裁判秘話を聞かせてくれる楽しい部長もいたと、修習生仲間から聞いたこともある。柳田部長が裁判官の典型ではないにしても、主任書記官から「この部長はこれから出世される方ですよ」と耳打ちされていただけに、最高裁が求める裁判官とは彼のような人だったのだろう。