夜の修習もあった
当時、修習生仲間のみならず教官たちの間でも「夜の修習」という言葉が、公然と使われていた。一般社会の人が聞いたら、怪しげな“なにか”を連想しそうな言葉だと思うが、法曹関係者は大真面目で「夜の修習に行って来ます」などと日常的に使っていた。要するに、酒を飲みともに語り、人間性を陶冶しようということだ。受験勉強ばかりしてきて頭でっかちで常識無しの修習生が多いから、修習時代はおおいに羽を伸ばしてもらい、毎晩のように飲み会を催して、飲めや唄えの宴会を繰り広げるのである。
現在はどうなっているのか知らないが、検察庁がとくに派手で、夕方も6時を過ぎれば役所のそこここでビールに乾きもののつまみが供され、修習生や若手の検事ばかりか、部長やはては検事正までが一緒になって談笑するのである。修習生といえどもその半年や1年後には法曹界へ入るわけだから、先輩たちも丁重に扱ってくれる。しかも女性となると修習生が50人いてもわずかに2、3人しかいないのが当時は普通だったから、いやでも目立ってしまう。部長以上のお偉いさんの隣りに場を占めさせられて、ビールを注いだり、タバコに火をつけたり、まるでホステスまがいのことだって堂々とやっていた。現役で合格してきた若い女性修習生は、慣れないことで嫌だと思っていたかもしれないが、私は嫌がってみても始まらないので、いつもニコニコと男性たちの間で自然に振る舞っていた。
いまであれば「セクハラだ」と当然言われる状況であったが、そんな言葉は30年前の日本では存在しなかったし、そういう概念も皆が持ち合わせていなかった。しかし、考えてみれば元・夫は私が赤ん坊を生んだ直後、「手酌でやってね」と言ったことで不機嫌になり、さんざん嫌味を言われたことがあった。やはり裁判所や検察庁のなかで、女性と見れば酌をさせる風習は止めにすべきだろう。職場で対等でなければ、家庭内で男女の対等なんてあり得ないのだから。
私は自分自身の旧い育ちや体質と、頭で考える人権や男女平等の狭間で揺れ動きつつ歩んできた自分の半生を、いま不思議な思いで振りかえってみる。
男性たちからのデートの申し込みなど、実際のところ数え切れないほどあった。同輩の修習生はもとより、指導教官や先輩の検事、裁判官なども例外ではなかった。こういう男たちの様子を見ながら、男はみんな同じように獲物を探す動物なのだと感じた。デートの誘いを拒否したら成績に響くのではないかなど、私はほとんど考えなかった。「すみません、でも、子どもが待っていますから……」と言えば、相手はビックリして手をひいてくれることは分かっていたから。