「青春はよみがえった」かのような日々
子どものことはどこにいても、私の頭の片隅にあった。夜の修習で帰宅が遅くなる日も多く、祖母にまかせきりの日も少なくなかった。私はヒロの寝顔を見てから床につくことができるが、子どもは私に「おやすみなさい」も言えず、祖母に絵本を読んでもらって寝入るのだ。せめて朝は早く起きて子どもとひと遊びしてやればいいと思うのだが、それがなかなかできなかった。化粧もしなけりゃならない。洋服選びにも気をつかい手間がかかる。
「ねえママ、ガッチャマン買ってもらったよ、見てえ」と、オモチャを抱えて私の部屋までやってくる。「あら! よかったわね。どうやると動くんだろう。今度の日曜まで待っててね」「いやだ、いま動かしてよ!」……ごめんごめん、今日遅刻したら修習生をくびになっちゃうよ。
こんなこともあった。可愛がっていたプードル犬のナナが死んでしまったのだ。冷たくなって横倒しになったナナを半日も撫でていたヒロ。深大寺にお墓を作った。それから一週間ほどしたある日、「ねえ、ママ、来て見て! お墓作ったんだよ、パパのお墓だよ」
——砂場には犬のお墓のような、小さな山が築かれていた。私は小さなヒロを強く抱きしめたまま、その場にうずくまってしまった。ヒロは驚いたのか、それ以来パパのお墓の話はぷっつりとしなくなった。
同期の女性修習生のなかに、私より7、8歳年上のF子さんという優しそうな女性がいた。修習中に結婚して、双子が生まれたと聞いていた。そのF子さんに「ご出産、おめでとう」と声をかけると、彼女は涙ぐんで「これで私もやっと佐田検事(仮名)の前に出られるわ」という。いったいどういう意味なのか分からないので、理由を尋ねた。すると、前年に修習生になったばかりの頃、指導教官の佐田検事が彼女に対して「キミはひどい女だね。自分の子どもを置いて婚家を出て、自分だけ幸せになるなんて」と言ったというのだ。「こういってずいぶんいじめられたのよ」と言うではないか。
彼女も離婚経験があり、一人息子を婚家に置いて出されたこと、そして某弁護士と再婚したことなどを、そのとき初めて聞かされた。驚いている私に、「あなたはヒロちゃんを連れて出られたから、まだ良かったのよ。佐田検事にいじめられずに済んだのだから」と言われたときには、声も出なかった。修習生の時代は何につけても、法曹関係者から言われる言葉は一般の人以上にこたえるものだ。まして指導教官が修習生に対してこんなことを言っていたとは、もう絶句するしかない話だった。
しかし、修習生時代の辛い思い出はこの程度のもので、これ以外にはほとんどなかった。私にとっては2度目の学園生活のようで、まるで「青春はよみがえった」かのように思える日々の連続だった。私の研修所時代のアルバムには、若い男子修習生に取り囲まれて、常に仲間の輪の中心でほほえむ私がいる。昼も夜も誘われるままに勉強会に出たり食事や飲み会にも行き、夢のような毎日だった。見るもの聞くものすべてが血肉となり、驚いたり納得したりした。すべてが目指す弁護士への道のりの過程として、充実し輝いていた。
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