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 「アンキャニー・バレー(不気味の谷現象)」という概念を知っていますか? われわれ人間は、人形やキャラクターなどの外見が人間と似てくれば似てくるほど好感を持つらしいです。しかし、ある一点を超えてあまりにも似てしまうと、その類似性が原因でむしろ違和、嫌悪、恐怖を感じてしまう。その「類似性」と「感情的反応」の関係をグラフで表した時、人間に似すぎて好感が激しく落ちる部分を「谷」に比して「不気味の谷」と呼びます。例えば人間の肌の質感や細かい表情まで再現しようとするロボットを見てわれわれが気持ち悪くなるのが、不気味の谷現象ですよね。

 私の知り合いのネイティブ並の日本語駆使者たちは、自分たちが「日本語のアンキャニー・バレー」に入っていると感じている人が多いです。周りの日本語ネイティブの人々が、必死で粗探しをしているようにその人の日本語の細かいところまでを「評価」し、珍しく間違えると「喜んで」それを指摘する。自分らと区別がつかないこの「日本語達者」を、日本語ネイティブたちは必死で「我らとは違うもの」だと確かめたいのですかね。

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 ある一点を超えて日本語が「うますぎ」になってしまうと周りの日本人の態度がむしろ厳しくなるこの現象は、特に低いレベルから着実に勉強を重ねて今の位置に至った人々なら知らないはずがありません。今より日本語が下手だった昔は「日本語上手ですね」と言われて可愛がってもらったのに、日本語が上達して日本語ネイティブからの「認定」が要らなくなった今は、周りの日本人たちが自分を見て気まずく感じていることが分かるという……まあ、そもそも「可愛がる」こと自体が、日本語ネイティブとしてのその人の権威と優位性を、相手に確認させることですけどね。

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日本語がうまいと「日本人の心」?

 「日本人が定義する日本語」を理解するための最後のパズルがまだ残っています。「日本語のアンキャニー・バレー」に落ちている人々なら、「日本語上手ですね」の代わりに「◯◯さんは心が日本人だから」は少なくとも1回は聞いたことがあるはずです。中途半端に上手な私でさえ、大学の授業で「見猿聞か猿言わ猿」を引用しただけで教授から同じことを言われるぐらいです。常に周りの日本語ネイティブから「オーセンティックな日本語を使っているか」と必死にチェックされる日本語達者たちも、ちょっと違う雰囲気の場では「◯◯さんは心が日本人だもんね」とすぐ言われます。別に「魂」とか「ルーツ」とかいったシリアスな話をする時に言われるのではなく、飲み会で、職場で、日常的な空間で言われるのです。「必死の粗探し」が「内」と「外」の境が曖昧になることに対する恐怖心を表すならば、「◯◯さんは心が日本人」は異質なものを「われわれと同じもの」にしちゃって安心したい気持ちを表しているかもしれません。