デビューしてから、そうした訓練を5年受けました。文春の執筆室に通って、毎日朝方までずっと原稿を直していたんですよ。今はそういうのがあまりないって聞くから、最近の新人はかわいそうだなと思いますね。
――訓練しているうちに、自分で判断がつくようになったわけですか。
吉田 最初のうちは削る勇気がないんです。自信がないから削れない。それでも編集者に、ちゃんと伝わっているかと確認しながら、少しずつ自信をつけていったのだと思います。
デビュー作の「最後の息子」は、センスだけでたまたま余分なものがそぎ落とされていたんです。その後のいくつかの短篇については、「削れ、削れ」と言われました。やがて僕は『パーク・ライフ』という作品で芥川賞をもらうんですが、あれって何も書いていないも同然でしょう(笑)。あの作品を完成させられたこと、評価されたことはものすごく大きな自信になっていますね。自分の言いたいことをみっちりと書きこんだ作品で賞を獲っていたら、後々困っていた気がします。そうしないと評価されないと思いこんでしまっていたでしょうから。
吉田 その後実際にソリッドな作品を発表した際も、「あ、伝わっている」と思う感想をいただくことが増えて。それが積み重なっていくと、自然と読み手に委ねられることが増えていきました。今ではもう、何も書かなくても伝わるんじゃないかなって思うくらい(笑)。ただ、当然読者にはいろいろなタイプの人がいるので、全員に伝わっているとは思わないですけれど。
三度目の『横道世之介』
――現在、毎日新聞で「永遠と横道世之介」を連載中ですね。
吉田 1作目の『横道世之介』では世之介は18から19歳、次の『続 横道世之介』は24から25歳。今回は38歳から39歳までの話になりました。続篇を書き終えてから編集者と話すうちに、なんとなく30代の世之介の姿が見えてきて、書きたくなったんです。