日本デジタル通貨が根付かない「深い歴史」とは…?
一方、日本では日銀が実証実験は行うとしつつも、「導入の予定はない」としている。
宮沢さんはこう嘆息する。
「完全に出遅れそうですが、これには深い歴史があるんです」
宮沢さんが電子マネーに関わるようになったきっかけは、今から20年以上前の1998年まで遡る。当時は、まだソニーの社員だった。
宮沢さんはアメリカ・シリコンバレーでPC端末「VAIO」の販売に奮闘していたが、ある日、現地の通信会社から一本の連絡が入る。電話口では先方が驚くべき発注をしてきた。
「VAIOを10万台販売して欲しい」
願ってもない大型受注に歓喜するのも束の間、ひとつの条件が課される。
「VAIOにSONYのロゴを入れず、無料で配りたいというのです。当時はまだまだソニーもゲーム機やテレビなど『ハード』で儲けるのが常識でした。ところがこの通信会社は、『ハード』であるVAIOを無料配布し、そこに搭載する『ソフト』でお金を稼ごうと考えていたのです。これからは『ハード』ではなく、通信料やサービスなどの『ソフト』で売る時代が来ると、この時確信しましたね。
2001年にソフトバンクが無料でモデムを配って月々の通信料で稼ぐビジネスモデルを打ち出したり、『1円ケータイ』が現れるよりも前の話です。結局、『これではソニーのブランドに傷がつく』と考え、泣く泣く申し出を断ったのですが…」
これが原体験となり、同年、帰国後に誘われた新規事業が電子マネーだった。
宮沢さんは伊庭保CFO(当時)に呼び出され、新規事業の準備室で未来の日本をイメージしたビデオを見せられる。
その未来図では、若いビジネスマンがタクシーを降りる際に、端末にタッチして支払いを済ませ、自宅に帰ると携帯電話をテレビにタッチして自分の口座情報などを呼び出し、株の取引を行っていた。
「こんなことができるわけがない!」
宮沢さんは間髪入れず、そんな言葉が口を突いたという。
今となっては日常風景だが、当時は夢物語。なにしろドコモのiモードすら始まる前の話なのだ。