谷口ジローは「孤独のグルメ」(久住昌之原作)の漫画家として最もよく知られているでしょう。今回取り上げる1枚にも、主人公が1人で生ハムを食べるシーンがあり、それを彷彿とさせます。谷口には「『坊っちゃん』の時代」「歩くひと」など数々の名作があり、国内でも確かな支持を得ていますが、むしろヨーロッパ、特にフランスでの評価の方が高いのが実情です。
本作は、ルイ・ヴィトンが各国のアーティストに依頼し、それぞれ1つの都市を漫画やイラストで表現した「トラベルブック」シリーズの1冊「VENICE(ヴエネツイア)」からの抜粋。主人公が祖父ゆかりの地である水の都ヴェネツィアを訪れるお話の1ページです。谷口の描く背景は登場人物と同じくらい物語性が強く、街の魅力を伝えるには適任といえるでしょう。緻密で写実的な背景に漫画らしく簡略化した人物描写。状況が詳しく具体的でありつつ、人物が背景に埋もれない絶妙なバランスがとられています。特に本作はコマ割り漫画でありながら、吹き出しのセリフは皆無で、幾度も1ページまるごと風景に充てるなど(水景の絵)、絵で見せる表現にこだわっています。
日本の漫画は右開きで縦長の画面なのに対し、本作は左開きで横長。そのため、左から右に流れるようにコマ割りの工夫をしたとのこと。谷口によると、コマの上下の動きはそれなりの時間経過、左右はスムーズな流れを表わし、大きなコマと小さいコマでは、コマが大きいほど長い滞留時間が想定されているそう。これらを踏まえて本作を見ると、何が起きているか明瞭になります。
左上の大きなコマでサント・ステファノ広場を描き、左手にレストラン、右手にカフェを配置。主人公はどちらの店にしようか眺めて思案したのでしょう。次のコマで左の店をチラっと見て、給仕の女性にも注目。彼女の頭部が上のコマにはみ出ているのも併せて、ロングショットから次第に主人公がお店に近づいていったことが了解されます。
右上のモッツァレラと生ハムの盛り合わせのアップのコマで、右のカフェにしたと分かります。なぜならさりげなく右のカフェの椅子がコマに描きこまれているから。食べるシーンは背景が真っ白で薄く横長のコマなことから、もくもくと無心に、しかも短時間で食べていることを表現。最後のコマでサント・ステファノ教会を右手に見上げ、このページを終えています。次のページに待っているのは、この小道を抜けた先の広場です。
谷口の描く背景は縦線と横線を基調に極端なパースや遠近の対比がなく、空や水の繊細な変化を丁寧に描くため、人物の心の内側での微妙な変化を示すことができるのでしょう。そんな谷口漫画の絵の美しさは読みやすさに繋がり、本当に面白く、一人でも多くの人にじっくり読んでほしいものです。
INFORMATION
「描くひと 谷口ジロー展」
世田谷文学館にて2月27日まで
https://www.setabun.or.jp/exhibition/20211016-20220227_taniguchijiro.html
●展覧会の開催予定等は変更になる場合があります。お出掛け前にHPなどでご確認ください。