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《御嶽海大関昇進》「雷電以来227年ぶり」の超パワーワード 「強すぎて張り手禁止」「相手を土俵上で投げ殺した」…? “史上最強力士”との数奇な縁を地元紙はどう報じたか

2022/02/01
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『雷電以来227年ぶり!!長野に大関 御嶽』(東京中日スポーツ1月24日)

 御嶽海が大相撲初場所で3度目の幕内優勝&大関昇進。それにしても「雷電以来227年ぶりの長野県出身大関」というパワーワードに目を奪われる。

雷電の正式なプロフィールは…?

 子どもの頃に買ってもらった大相撲大百科を思い出した。

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 江戸時代の最強力士・雷電伝説もあった。2メートル近くの巨体で、強すぎて張り手が禁止になったとか、いやそれどころか相手を土俵上で投げ殺してしまったとか、生涯で10敗だけとか、雷電伝説に夢中になった。

勝川春亭による浮世絵「雷電為右衛門」

 御嶽海の活躍で「雷電」の文字をあらためて目にすると「ああ、ほんとに実在したんだ」としみじみ。錦絵のイメージしかなかったが正式なプロフィールはこちらだ。

◇雷電為右衛門(らいでん・ためえもん)

 

 1767~1825年。現在の長野県東御市出身で、雲州(松江藩)松平侯のお抱えとなった伝説的力士。1メートル97、169キロの体格を誇り、254勝10敗(引き分けなどを除く)、勝率9割6分2厘の並外れた実績から、「古今最強力士」と称された。最高位は大関。当時横綱は地位として明文化されていなかった。(読売新聞オンライン2022年1月24日)

雷電以来の長野県出身力士として大関昇進を決めた御嶽海 ©文藝春秋

雷電が横綱になれなかった「3つの理由」

 当時の横綱はあくまで称号だったというが、雷電はなぜ大関のままだったのか。そのへんの謎が書かれていた記事もあった。

『土俵で相手を投げ殺す? 最強力士の雷電、横綱になれなかった「諸説」も超大物』(読売新聞オンライン2020年12月6日)

 雷電はなぜ横綱になれなかったのか。雷電から数えて8代目当主の関賢治さんに聞いている。

「諸説」あり、おもなものは3つだという。