5年前の4月。84歳だった作家・小林信彦さんは自宅で脳梗塞を起こし、救急車で搬送されました。幻想小説のように紡がれる病中の夢、出来の悪いコントのような入院生活。その後、リハビリを経てめでたく退院しましたが、直後に骨折し、再入院することに。 

 エッセイの名手が自身の体験から人生百年時代の〈生と死〉を問い直す、まったく新しい文学的闘病記『生還』(文藝春秋)より一部抜粋して、リハビリ中のナースとのやりとりを紹介します。(全2回の2回目/前編を読む)          

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第2章 オシッコをする

語りたそうな中年ナースの用件とは

 脳梗塞の基礎知識は19世紀に確立され、20世紀に入って脳血管支配の知識が追加された、といわれる。私は辛うじて脳梗塞の恐怖をまぬがれるあたりまできたらしい、というのは私が考えていることで、進んでいるといわれる再生医療の恩恵を受けつつあるのでは、というのは、あくまで〈私の考え〉の部分である。

 再生医療のもっとも進んでいる領域といわれるが、多くの役者や作家がそれによって、ダメージをこうむっていることも、また事実であり、老年に入ったとしても、豊かになった智恵を使える時期に、実害とショックで仕事が中絶してゆく。私の好きな役者、作家で、面識もあった人が、わからぬ形で消えてゆくことがあり、あとで脳梗塞であったと教えられることがある。これなど、まことに残念なケースであり、なぜ忍耐づよくリハビリを続けられなかったのかと歯ぎしりするが、無駄である。

写真はイメージです ©iStock.com

 私は、私が耐えなければならなかった記憶を、もう一つ書き記そう。この記憶を書くことは楽しくないし、できれば、やめたいのだが、そうもいくまい。 他人に迷惑がかかることであるのを承知の上で、もう少し続けてみよう。 

 私の退院が噂されたりする時期に、1人の中年のナースが妙にこだわり、語りたがることがある。そういう時は、なんだろう、と私は考えた。そんなにこだわることではない、と、まず考えてもいいと私には思われたからである。そのナースは、それが私にとって重大事であると信じているらしい。その理由は明らかではない。  

 ナースはナースであって、私のリハビリに関心はあるが、〈私が病院に滞在して彼女の仕事=生活に災難がない限り〉触れないですむことには触れたくない人と考えるべきである。そうであるとすれば、病院における私の存在が気になるというのは私をうるさく思っているからだ、と乱暴にいえば、言えるのではないか。