5年前の4月。84歳だった作家・小林信彦さんは自宅で脳梗塞を起こし、救急車で搬送されました。幻想小説のように紡がれる病中の夢、出来の悪いコントのような入院生活。その後、リハビリを経てめでたく退院しましたが、直後に骨折し、再入院することに。
エッセイの名手が自身の体験から人生百年時代の〈生と死〉を問い直す、まったく新しい文学的闘病記『生還』(文藝春秋)より一部抜粋して、小林さんが自宅で倒れた日のことを紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)。
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第1章 天井しか見えない夜
1週間、ただ眠って夢を見ていた
約1週間、生きるか死ぬかというところにいたらしい。きわめて危険な場所と考えるべきだろう。
84年にわたる私の人生で、もっとも死に近づいていた期間ともいえる。 かつての私は、そういう期間はもっとも苦しい、痛いものと考えていた。
痛くも苦しくもなかった1週間。私はただ眠って夢を見ていた。
のちに、事故で死にかけた芸人がテレビで、「もうこれで死ぬのが少しも怖くなくなった」と笑っていた。その芸人を買っていない私でも(たまには本当のことを言うのか......)と、柄になく頷いたりした。
芸人の言う通りで、〈死〉は私にとっても、少しも怖くなくなった。もし私が長い夢に見ていた通りのものであるならば。
夢は1週間つづいていた、と私は考えている。しかし、もし、夢は一瞬のもので、幾日もつづくものではない、と他人(ひと)が言うならば、私もその意見に反対はしない。なぜなら、私もそう考えていたからだ。
ここで、現実にどうであったか、何がおこっていたかの証言を入れる。次女が記していたことである。私の家はまず、〈編集者一家〉といってもよいので、 私が小雑誌(今はなき「ヒッチコック・マガジン」)の編集長、妻が今はなき「映画ストーリー」の編集者、そして次女は文藝春秋とは関係がない某出版社の編集者である。家族4人のうち3人が編集者、まさに偏執(へんしゅう)者一族といってもいいもので、なにかというと、メモを残すくせがこのたびは良い方に働いたか。