文春オンライン

「〈死〉は私にとっても、少しも怖くなくなった」脳梗塞で倒れ、生死を彷徨った小林信彦が見た“奇妙な夢”

『生還』より#1

2022/02/12
note

夢の中で、高原の療養所や寄席の劇場へ

〈4月21日(金)

 

 19時30分~45分ごろ、ハリ治療の終盤、父上、最後に首を左右に回す運動ができず、自力で起き上れない、呂律(ろれつ)がまわらない。ハリ師(女性)と母上が2人で階下(した)の和室から父上を運びだす。ハリ師は母上に「脳梗塞の疑いもあるので、(近くの医師に)相談して判断を仰いだ方が良いのでは」と話す。   

 

 23時、父上が「2階に上がる」と言う。が、自分の身体を持ち上げられず、 何度も尻餅をつく。さらに眼鏡をかけようとするが、ツルをつかんで広げようとすると、右手は動くが左手はツルをつかむことも拡げることもできない。右側の脳の異常であることを確信。

 

 23時20分、救急車、20分で到着、乗車。M病院が受け入れるとのこと。母 上、私が同乗。 23時45分、病院着〉

 この間(かん)、私は天井しか見ていなかった。救急車の天井、検査室の白い天井が次々にうつり変ってゆく。複数の検査を受けているのだろう。人間の顔は見えない。

写真はイメージです ©iStock.com

 ここらで私が〈この世〉を見るのはおしまいである。

 では気分が悪かったかといえば、そうでもない。

ADVERTISEMENT

 はっきりしている夢は〈高原の療養所らしいところ〉にいる夢だ。私はそんなところにいたことはなく、長い人生で病院に入ったことさえ、このたびが初めてだ。堀辰雄のサナトリュウム小説の一景のようなきれいな病院で、眼鏡をかけた小柄な医師がいる。

 長い夢の中にいつも出てくるのは同じ医師で、それは(あとでわかったのだが)私を担当していたM病院の医師であった。他の患者もいたが、どういう人たちかは覚えていない。

 次の夢は、広い〈寄席のようなところ〉だ。今はそんな寄席は現実にないし、つくりとしては劇場のようだ。口うるさい小母さんがいた。ただ雰囲気としては、今はなき人形町の末広亭に似ている。

 好みの場所、席というのがあるもので、私は中央より前に近い席に固執していた。何度うしろの方に戻されても、そこに戻って行ってしまう。なぜか、小母さんはそれを許さなかった。私はしつこく繰りかえして、小母さんはしまいには投げてしまったようである。

 もう一つ、区役所の洋式ホールのようなところで、そこを抜け出して階上に行こうとする夢であった。そのしつこさ、それを食い止めようとする女性との攻防が只事ではなかった。

関連記事