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リハビリ病院へ転院も記憶はあいまい

 テレビ、ラジオがOKとなるのは4月25日で、食事も重湯が全粥になっていた。締め切りが迫っている出版物の編集者には次女がメールしてくれた。2社ほどだが、「少し遅れても大丈夫です」という返信が双方からきた。なぜ自分が入院しているのか、ようやく私は理解していたが、病気についての深い知識は持たなかった。病気が病気だけに医者も、家族も、私に知らせないようにしているのでは、とひそかに考えていた。 

 M病院のソーシャル・ワーカーと相談し、次女は次のリハビリのための病院を決めた。リハビリ専門の病院は三つほどあったが、次女はH病院を指名し、入院が可能になった。7階の個室(値段が高い!)に入って、3階の個室の空きを待つのだ。ここは次女のアパートに近いし、わが家からも車で15分ほど の場所にあるとのこと。  

 なにもわからぬままに私はH病院に転院した。7階の部屋はかなり広く、二間あったように記憶する。が、H病院に移ったころの記憶はまだあいまいで、数人いたリハビリの相手もはっきりとは覚えていない。次から次へと変る身の変化に、ついて行けなかったというのが正直なところだ。感情的に不安定だったこともある。  

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笑いが止まらなくなったり、すぐに泣いたり

 テレビを見ていて笑うことなどほとんどなかった私が、どこか神経のツボを押されると笑いが止まらなくなった。以前だったら、(やり過ぎだ)と嫌悪したたぐいの笑いでも簡単に反応し、われながら(これはおかしい)、(過剰反応だ)と反省した。同様に涙もすぐに出た。あまりにも振幅が大き過ぎた。

 驚いたのは、妻が名画座からきたミュージカル映画特集のパンフレットを見せただけで、咽(むせ)び泣いたことだ。MGMミュージカルの名プロデューサー、アーサー・フリードの名前を目にしたせいかも知れない。私にとって、アーサー・フリードの引退とともにハリウッドのミュージカル映画は終っていた。 

 しかし、〈咽び泣く〉ほどのことかどうか問題は残っている。これでは〈往年を回顧して涙ぐむ〉人と変らない。  

 おそらくは神経がおかしくて(どうおかしいのか?)アンバランス、過敏になっているのだ。あるいは、感性にどこか薄っぺらくなった部分があるのだ。  

 私は、もっとしたたかであるはずだ。泣きも笑いもせず、じっと表情を変えずに、唇だけをわずかに歪めているはずだ。

生還 (文春文庫)

小林 信彦

文藝春秋

2022年2月8日 発売