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地元住民からの評判

 周囲は田畑に囲まれ、不動産屋と靴屋、そして薬局と2日違いで開店したばかりの理髪店を除けば、人家はまばらだった。ただ、転居の8年前、安田女子大学が近くに開校したのをきっかけに、一帯では住宅開発がはじまり、バス停の隣りにあるカワイ薬局の前を行き交う人の数は年々増えていった。

 現在、そのそばには高架上を走る新交通システムで市中心部とつなぐ「アストラムライン」が通っている。安東駅からすぐ、4~9階建ての新しいマンションが林立する中、2階建ての二軒長屋(計約72平米)はポツンと残っていた。白いモルタル壁に、薄い屋根、アルミサッシの玄関、庭なし……。通りに面しているアイボリー色のシャッターはだいぶ草臥れている。その片側にかつてカワイ薬局があった。

河井克行氏 ©文藝春秋

 克行は母が店を閉めてからも「倉庫」と称し、つい数年前までその物件を借りていた。克行が代表を務めていた自民党広島県第三選挙区支部の政治資金収支報告をめくると、2018年2月28日まで月々6万3500円を家主に払い続けていたことがわかった。

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「あれはわが家の原点だからねえ」

 克行の政治資金を管理していた父の宏雄は、経理担当の秘書から「倉庫代」について問われると、遠い目をしながらそう語っていたという。

 私は、カワイ薬局の開業当時を知る70代男性に話を聞くことができた。

「このあたりは鯛之迫という集落です。昔からの呼び名です。河井さんが来た当時は47、48軒くらいあったんかな。田んぼしかなかったけど、女子大ができたから、河井さんちの前に道ができた。できた時はものすごく広く感じたんです。ここは、これから発展するぞと思った」

──当初の家賃はどのくらいしていましたか。

「おそらく2、3万円。そんなもんじゃなかろうでしょうか。当時は新築じゃった。2軒引っ付いているように見えるけど、中は分かれて、玄関も別で、まあ、一軒家ですからね。河井さんはあそこに住んどったんです。一時はね、子どもの頃はね」

──河井家はどんな家庭でした?

「言いにくいけど、この近所では好かれていなかった。町内会にも協力していなかったですね。みんなで町内を清掃する時は、奥さんが『うちは自分ちの前だけやるから。出ません』と」

──ちょっと変わった家だったんですね。

「親御さんはちょっと怖い人でした。敵に回したら何をされるかわからん。ボクらみたいな無知な人間は、そんな気がしたですよ。お父さんもお母さんも非常に口が達者です」

──薬局ではお買い物はされていました?

「たまに、ですね。あまりタッチしたくない。やっぱり敬遠してましたね、ボクも。とにかく知らんほうが自分が幸せ。知っていたら、何を言われるかわからん。何をされるかわからん」