小日向がヤクザになったのは矢野に“惚れた”から
そもそも小日向死刑囚はなぜヤクザの道に進んだのか。小日向死刑囚の手記には、その経緯についてこう綴られている。
《私は17歳の頃、新宿のキャバクラでボーイとして働いていました。ある日、ボーイ同士で喧嘩になり、それを幸平一家池袋の人に見られて、「見所がある」と言われ、ヤクザにスカウトされました。後日、その人の池袋のマンションに転がり込みました。
数日後、別の組員が私を迎えに来て、そこで初めて矢野会長と会いました。当時はまだ組長でした。初めて居酒屋で会い、話をしました。それから数軒スナックをはしごし、そこで私に両手の指(両手の小指が根元から欠損)を見せ、「見ろまだ8本ある。足の指を入れれば18本ある。何でも好きなことをしてこい。がいまち(間違いの事)があったら俺が指をけずって(指を詰めて)けじめつけてやる。心配するな好きにやれ」と言われました。どこの馬の骨ともわからないガキに、「俺の指をやる」と言われたのです。
自分が逆の立場だったら、同じことを言えるだろうか……。なんと男らしい人だろうと思いました。そして、「今日から俺のことを親父と呼べ」と言われました。私はうれしく思いました。「この人についていってみよう」と思ったのです》
手記では、『前橋スナック銃乱射事件』を指示した矢野死刑囚に対し、不満を抱え続けてきたと明かしている小日向被告だが、ヤクザの道を志したのはその男に“惚れた”のがきっかけだったのだ。
服役中に知った『前橋スナック銃乱射』
進藤牧師と出会ったのは、そんなヤクザになりたての頃の小日向だった。
「その後は、組も違うし特に親しい間柄ではなかったのですが、人から聞いたところだと幹部の運転手や部屋住みなどを経て、順調に出世街道を走っていたようです。組の内部で働くと外で稼ぐしのぎがないので生活は大変だったと思います。とにかく、組に尽くしていたのが小日向でした。葬儀などの『義理場』など、大勢が集まるところで会釈をする程度の関係が続きました」
この頃、進藤牧師は覚醒剤の使用などの罪で服役を繰り返していた。『前橋スナック銃乱射事件』発生のニュースは松江刑務所で服役中に見たという。
「当時は小日向が犯人だとは知りませんでした。実行犯についてはまだ報じられていませんでしたから。しかし、ヤクザがなんで一般の人をこんなに巻き込んでしまったのか。疑問でした」