2月11日「文春オンライン」は、2003年1月に起きた『前橋スナック銃乱射事件』の実行犯、小日向将人死刑囚の獄中手記の一部を報じた。この事件はヤクザ同士による抗争が発端だったが、その場にいた一般人3人を含む4人が亡くなるという最悪の結果を生んだ。
事件当時、小日向死刑囚は住吉会の2次団体である“武闘派”幸平一家傘下の矢野睦会(3次団体)に所属していた。17歳頃に会長だった矢野治死刑囚(2020年1月に東京拘置所で自殺)と親子盃を交わし、その右腕としてさまざまな抗争に明け暮れ、ついには2003年に始まった、『前橋スナック銃乱射事件』を起こす。
手記に綴られているのは、2001年8月に発生した『四ツ木斎場事件』がきっかけで始まり『前橋スナック銃乱射事件』を引き起こした矢野睦会による稲川会系組織幹部への襲撃が、いかに激化していったかという経緯と内情だ。
小日向死刑囚によると、矢野治死刑囚は稲川会系組織の幹部襲撃に異様なまでに固執しており、「スナックにいるのはみんな抗争相手の仲間だと言われていた」「身内すら殺す矢野死刑囚の命令は断れなかった」などと手記で主張している。
しかし、そもそもこの手記は、事件の真相究明という点においてどれほど信用に足るものなのだろうか。#5で、小日向死刑囚が手記を書き始めたきっかけは「遺族への謝罪」だったという証言を報じたが、自らの行為を正当化するために事実を歪曲している可能性もある。
元“マル暴”が「この手記には大きな価値がある」
手記を報じた後、事件発生当時に一連の事件を捜査・指揮した警視庁の元警視・櫻井裕一氏に話を聞きに行った。櫻井氏はいわゆる「マル暴」と呼ばれる、暴力団による犯罪を専門に捜査する部署を渡り歩いたスペシャリストだ。退職後に上梓した著書『マル暴 警視庁暴力団担当刑事』(小学館新書)には、矢野睦会による事件の捜査の裏話も明かされている。
「自分でも知らないことがあり、この手記の公開には大きな価値がある」
櫻井氏はこう話し、目を細めて手記が公開された「文春オンライン」の記事を読み進めた。
「私は逮捕前の矢野死刑囚や小日向死刑囚の家族と直接会話を交わした経験がありますし、ほかにも一連の事件の多くの関係者に事情聴取しています。小日向の家にも行ったことがありますよ。本人は不在でしたが、子供がたくさんいたのが印象的でした。
捜査をした自分としては、手記に書かれている内容は小日向がみた真実だと思います。事実を捻じ曲げた虚偽の内容があるようには思えない。矢野に指示をされて断れなかったというのも、正直な気持ちでしょう」