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『四ツ木斎場事件』以降、「矢野は異常だった」

『四ツ木斎場事件』が発生した当時、櫻井氏は警視庁駒込署の暴力犯捜査係の警部補だった。すでにマル暴歴20年のベテランだったため、方々から事件についての話が耳に入ってきたという。

「その日、四ツ木斎場では住吉会向後睦会幹部の通夜が執り行われていたんです。そこへ、稲川会の組幹部2人が住吉会の組員を装って紛れ込み、住吉会側の幹部2人を殺害した。ヤクザにとって、葬式などの『義理事』はとても重要で、その場を荒らすことは許されない行為なんですよ。その後に住吉会と稲川会の上層部で手打ちをしていますが、住吉会側の不満は凄まじかった。特に、矢野は異常だった」

当時の四ツ木斎場 ©共同通信

 手記にも、矢野死刑囚の異常なまでの報復への固執が描写されている。

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《「Xの家に火炎放射器で火をつけろ」「Xの家をロケットランチャーでぶっ飛ばす」》

 

《「キャバクラでマシンガンを乱射しろ。伏せないやつはみんな敵だ。一緒に殺っちまえ」》

 

(小日向死刑囚の獄中手記より矢野死刑囚の発言を引用)

「稲川会に殺害された幹部は、矢野を可愛がって出世させた大物ヤクザの兄弟分でした。矢野としては恩人の心中を慮って、執拗な襲撃を始めたんだと思います」(櫻井氏・以下同)

派手なヤクザが100人 日医大病院前の「異様な光景」

 手記にもあるように、矢野睦会は火炎放射器などを持ち出して、稲川会側の元幹部の襲撃を続けていた。しかし襲撃の失敗が続くなか、矢野睦会の石塚隆組長が、矢野死刑囚と仲違いする。

「2002年2月24日夕方、『目白で発砲!』と10キロ圏の緊急配備がかかり、私も応援に出ました。東京都豊島区要町の路上で、何者かが石塚組長をさらおうとしたが抵抗したため、その場で拳銃を発砲。石塚組長は命からがら逃げ出し、日医大病院のICUに入ったんです」

 櫻井氏が急行した日医大病院前には、異様な光景が広がっていたという。

銃撃事件があった日本医科大学付属病院 ©時事通信社

「幸平一家のヤクザが100人ほど集まっていて、ただならぬ雰囲気でした。派手なスーツや柄シャツを着た男ばかりで、だれが見てもヤクザだとわかる風体でしたよ。日医大病院の先生に許可を取って、石塚に『誰にやられたんだ』と聞きましたが、『言えない』とだけで、一切口を割らなかった。

 そこで『責任者を出せ』というと毛皮のコートを着た矢野が出てきたんです。部下が撃たれたっていうのにひどく落ち着いていましてね。石塚の心配をするでもなく『何か言わなかったか』と聞いてきて、『何もしゃべらねーよ』と返すとホッとした様子でした」