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 裁判でそれぞれ死刑が確定したが、矢野は死刑確定後の2014年、『週刊新潮』と警視庁目白署に殺人事件を告白する手紙を送っている。その後、櫻井氏は、管理官として組織犯罪対策4課を率い、この事件も担当した。

 前例のない死刑囚の自白。その供述どおりに、必死の捜索で警視庁は神奈川と埼玉の山中で2人の遺体を発見した。DNA鑑定により遺体の身元も特定し、2017年4月、矢野死刑囚を逮捕。死刑囚の逮捕は戦後初めてだったこともあり、世間の注目が集まった。

 しかしその後の公判で、矢野は「告白内容はウソだ」などと無罪を主張。自白は、死刑が確定し罪をすべて話そうという意図ではなく、裁判で争い死刑の執行を遅らせる目的だったようだ。

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 殺人も死体の遺棄も別の実行犯がやったとみられ、東京地裁は「別の人物が殺害し、被告が遺体の処理を請け負ったことも考えられる」「死刑執行を引き延ばすための虚偽の告白だった疑いがある」として2018年12月、無罪を言い渡した。無罪判決に検察は控訴せず、裁判は終了している。

「高裁、最高裁まで争うとさらに数年単位の歳月を費やしてしまうので、控訴しないことは捜査側としても理解できました。矢野に振り回された形になりましたが、20年近くの間、身内が忽然と姿を消し行方を心配し続けていた遺族に骨を戻せ『ありがとうございました。やっと安心できます』という言葉をいただけたので、それだけで時間をかけてやった甲斐があり我々も報われました」

矢野の指は4本のみ「失敗続きで“責任”をとらざるを得なかった」

 この件での無罪が確定し、あとは死刑執行を待つだけとなった2020年1月、矢野は収監先の東京拘置所で自殺した。

「下積みを知っているからこそ、下に誇れる親分になれる。しかし矢野はヤクザになるのが遅かったんです。そのため稲川会系組織への襲撃も、指示の悪さから失敗が続いたのでしょう。実は矢野の両手には、それぞれ親指と人差し指しかない。それだけ“責任”をとらざるを得なかったということです。

スナック襲撃後、拳銃などを捨てた桃ノ木川 ©️文藝春秋

 指がないと拳銃を発砲することもできないのに、部下に指示して次々に人を手にかけた。彼の周辺で姿を消している人は他にもまだいる。ついには部下である石塚も手にかけて、もう戻るに戻れなくなったのでしょう。矢野は『平成の殺人鬼』ですよ。最後に自ら死んだのは、なんだかやるせないですがね」

「小日向は反省している。しかし遅すぎた」

 矢野死刑囚の性質を知っているだけに、櫻井氏は小日向死刑囚に対しては幾分か同情的だ。

「『命令に従っただけだ』といっても、4人の命を奪う大事件を起こした実行犯の小日向をかばうことは到底できません。ですが手記にもあるように、矢野が部下から『こたつの中で指示するだけ』と反感を持たれていたこともよくわかります。小日向が矢野に対して、『一から十まで全部私にやらせるつもりじゃないでしょうね?』と意見していますが、勇気がいることだったと思いますよ。

小日向の手記 ©️文藝春秋

 手記を読むと、小日向は本当に反省していると思います。死刑囚になって気が付いたんですね。矢野のように死刑が言い渡されても変わらない人間もいる中で素晴らしいことだとは思いますが、もっと早くに気付けていればな……。遅すぎましたね」

 そう静かに話した。

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