「文春オンライン」取材班が報じた、『前橋スナック銃乱射事件』の実行犯・小日向将人死刑囚による獄中手記。そこには、一般人3人がヤクザの抗争に巻き込まれて射殺されるという前代未聞の事件が起きるまでの、詳細な経緯が記されていた。
小日向死刑囚は2003年1月の事件当時、住吉会の2次団体の“武闘派”幸平一家傘下の矢野睦会(3次団体)に所属していた。会長だった矢野治死刑囚(2020年1月に東京拘置所で自殺)と親子盃を交わし、その右腕としてさまざまな抗争に明け暮れ、2003年に『前橋スナック銃乱射事件』を起こす。
小日向死刑囚は初公判から「命令されて断れなかった」などと主張し減刑を求めていたが、2009年7月に最高裁で死刑が確定。現在は、収監されている東京拘置所でいつともしれぬ死刑執行を待つ身だ。
獄中の小日向死刑囚に手記を書くことを勧めたのは、自らも幸平一家傘下の組に所属していた元ヤクザの進藤龍也牧師だ。
「ヤクザのままだったら私が小日向のようになっていたかもしれない」
そう語る進藤牧師は、以前に「文春オンライン」でその壮絶な過去と、牧師になった経緯について語っている(全国の犯罪者が集う“ヤクザ牧師”のヤバすぎる半生「シャブの快感は頭皮にまで達し」「200万円で奥さんを売春宿へ」)。
死刑囚は「心情の安定を図る」という理由から外部との面会や文通が著しく制限される上、その中身も基本的には検閲される。直筆の手記が世に出るのは非常に稀だ。なぜ進藤牧師は手記執筆を勧めたたのか。そして、小日向死刑囚とは一体どんな人物なのだろうか。
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小日向と出会った頃は「お互い現役のヤクザだった」
進藤牧師が小日向死刑囚と初めて会ったのは、約30年前、「お互い現役のヤクザだった」頃に遡る。
「私も小日向と一緒で、当時は住吉会系幸平一家傘下の組に所属していたんです。幸平一家は武闘派として有名で、当時関東に進出してきた山口組でも『幸平一家とだけは揉めるな』と言われるほどでした。現役バリバリの頃は、『俺と揉めるってことは幸平一家を敵に回すんですね』という感じで、私もその威を借りていました。
小日向と初めて会ったのは、ある物件を不法占拠しているときです。応援で別の組の小日向も来ていました。お互い未成年の少年ヤクザでした。私もそこそこだったと思うのですが(笑)、小日向は本当に美青年でした。私は川口、小日向は川越で同じ埼玉出身というところで話がはずみました。性格は向こう見ずでかなり“イケイケ”。『毘沙門天』という暴走族にいたと聞きました」