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特集観る将棋、読む将棋

「将棋が好き」がすべてだった 親になって思い出す、小学生時代の“とてつもないパワー”

2022/02/08

 長女の6歳の誕生日プレゼントに自転車を買った。

 周りのお友達も絶賛自転車ブームで、最近は広場で揃ってぞろぞろと乗り回している。

 その中でも一番遅くに自転車を手に入れた長女は、まだ乗り方がぎこちない。重心は右に傾いていて、乗り続けていると、少しずつお友達と距離が開いてしまう。

 私も含め見守る親たちは、焦ったり不安になったりしないか心配になったのだが、半周遅れくらいでやってきた長女が楽しそうに鼻歌を歌っているのを見て、みんなで思わず笑ってしまった。

小学生の思い出は小学校よりも、将棋道場

 後になって「楽しそうだったね」と声をかけると、「自転車に乗れるの、嬉しいから」と返ってきた。彼女は自分の自転車に乗れていることが、心から嬉しくて楽しいのだ。

 周りから見たら少し心配になるような状況で、長女が鼻歌を歌っているのを見て、自分の小さい頃を思い出した。

長女が0歳の頃、一緒に行った将棋会館 ©上田初美

 将棋を指すのが楽しくて、毎日のように道場に通ったあの頃。

 小学生の思い出は小学校よりも、将棋道場に多い。

 ある程度強くなってから、「将棋の何が楽しいですか?」と聞かれたことがある。

 よくある質問だが、小学生の私はそんなことを考えたこともなかったから、答えに詰まった。

 何が楽しいのか分からないけど、ただ楽しいという気持ちだけで将棋を指していた。

 きっと自転車に乗っている長女も同じ気持ちなのだろう。とにかく楽しいから、自転車に乗っているのだ。

自信を持って「とにかく楽しい!」とは、断定できない

 今だったら「答えが簡単には出ないところ」とか「老若男女楽しめるところ」とか、いろいろ答えられるが、その頃は「将棋が好きだから」がすべての答えだった。

 好きだったから、自然と強くなって、そこには「才能」とか「努力」とか、難しいことが入り込む余地がなかった。努力を努力と認識しないパワーが、そこにはあった。

 今でもその気持ちは持っているつもりだが、どうしても「つもり」という、子どもの頃には必要なかった一言が入ってくる。自信を持って「とにかく楽しい!」とは、悲しきかな、断定できない。

「夢中になって」という枕詞は使えなくなったし、「頑張る」を多用するようになった。努力は、もう努力になってしまった。