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「将棋が好き」がすべてだった 親になって思い出す、小学生時代の“とてつもないパワー”

「将棋が好き」がすべてだった 親になって思い出す、小学生時代の“とてつもないパワー”

2022/02/08
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その頃にしかできない体験を

 棋士や女流棋士はプレーヤーとしての寿命が長い分、1つのことを続けていく難しさも感じることになる。将棋を誰よりも楽しんでいると同時に、厳しさや辛さもたくさん味わっているのだ。

 その中で熱いエネルギーを長く持ち続けられるのは、ごく一部の人たちで、それだけでもう凄いことである。年を重ねるごとに背負うものは多くなるし、自分に対しての言い訳も上手くなってくる。

 それでも結局将棋に向かい合いつづけているのは、やっぱり「好きだから」が私の根幹にあるのだと思うと、少し心が温かくなる。

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 卒園を控えた長女に「小学校は何が楽しみ?」と聞くと、「勉強をするのが楽しみ」と返ってきた。

 私たち夫婦の、どちらも答えなさそうな返答で若干戸惑うが、好きなことがたくさん見つかってほしい。その見つかった好きなことを、十分楽しめるような手伝いができる大人で、親でありたい。

 長女の「好き」が、そのまま将来に繋がるかどうかは分からないけど、何かに夢中になる体験は、人生において決して無駄にはならないと信じている。親の勝手な願いなのは分かっているが、その頃にしかできない体験を、長女にもしてほしいと思う。

長女が塗った鬼のお面 ©上田初美

ひとりの人間として、強くたくましく

 子どもの頃に持った「将棋が好き」という気持ちが、自分の人生の大きな道筋を作ってしまうなんて、当たり前だけど、当時は思わなかった。子どもの「楽しい」や「好き」は、それ程とてつもないパワーを持っている。きっともちろん、悔しさや悲しみも。

 子どもが全力で笑い、楽しみ、悲しみ、悔しがる姿を見て、この子たちはたくさんの可能性を秘めているのだと思うようになった。

 かつては私にとっての大人がそう思っていたであろうことを、今は私がそう思う側になった。あの頃に想像していた大人は、もっとちゃんとした大人だったはずなのに。私は不完全ながらも、大人になったのだ。

 こうやって書いていると、大人になるのはつまらないことみたいだけど、私は今の私も結構気に入っている。爆発的なエネルギーはなくても、それはそれで1局で、穏やかに楽しく自分の道を生きている。人生は多角的であり、幸せは人それぞれ違う形をしているのが良い。

 勝ち負けがハッキリ出て、将棋の強さで順位を決める世界においても、それは変わらない。

 半周遅れだった長女の自転車は、お友達と並走するようになってきた。最近では一瞬立ち漕ぎをしてドヤ顔を見せて笑っている。

 大人は「子どもだから……」と心配してしまうが、子どもは自分のことを「子どもだから……」と下を向いていない。子どもたちはひとりの人間として、強くたくましく、今日も成長しているのだ。

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