――カミヤさんは『Fly』などBiSの振り付けを担当されましたよね。振り付けに自分の役割を見出したわけではないんですか?
カミヤ 「振り付けを考えることは好きだから、これなら自分にできるかな」と思っただけで、それ以上のことは考えていなくて(笑)。当時の自分は「好きなことならやるよ」というスタンスだったんです。
加入から1年で解散「自覚もないまま次が始まってしまったというか…」
――加入から約1年で解散が決まったことはどう受け止めましたか?
カミヤ あっという間に終わってしまったので、解散する自覚もないまま次が始まってしまったというか。自分が他のメンバーより早く新しいスタートを切ったこともあって、終わったことを認識しないままズルズル進んでしまった感はありました。
――解散に対して現実感がなかった。
カミヤ 物理的に解散には向かっていたんですけど、心は終わってなかった。解散が嫌とかじゃなくて、自分の中でBiSを終わらせる準備ができていなかったし、当時のボンヤリしている自分は解散と向き合うことができず、「楽しくやろうよ」という感じで進んでしまったんです。
――解散が決まってすぐに、ミズタマリさんとのプラニメが動き出します。
カミヤ BiSの解散と並行して、プラニメの準備を進めていたんです。心配してくださった渡辺さんと相談しつつ自分のやりたいことを詰めていった結果、あの形になりました。
――プラニメ以降は、カミヤさんが主体的に動くようになったんですか?
カミヤ BiSの時に自分の中で「こうだったらよかったのに」と思っていたことが、「初めからグループにいたかった」で。BiSのメンバーが積み重ねて、avexからメジャーデビューした状態で加入したので、何もない景色からみんなと経験したかったんです。プラニメでは、自分もイチから体験できるワクワク感がありました。
――自分がグループを引っ張っていく責任感もありましたか?
カミヤ 最初は2人だったので、「引っ張っていく」というより「一緒に頑張ろうね」という気持ちだったんですけど、(ミズタマリが脱退して)5人グループのPOPになってからは引っ張っていこうと思うようになりました。
――その頃はライブパフォーマンスをきっかけに無期限活動休止になるなど、カミヤさん自身も気持ちが先走り過ぎたこともあったと思います。
カミヤ それだけ必死になれていたのかなと思います。プー・ルイのスタンスと真逆で、私は自分がガンガンやって、他のメンバーが入る余地を与えなかった。それがPOPの時期だったのかなと思います。
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