女子カーリング「チーム青森」の一員としてトリノ五輪(2006年)、バンクーバー五輪(2010年)に出場した本橋麻里。2010年には、地元の北見市で新チーム「ロコ・ソラーレ」を結成した。その後は、結婚、出産を経て平昌五輪(2018年)に出場して、日本カーリング史上初のメダルを獲得した。
現在は2児の母でありながら一般社団法人ロコ・ソラーレの代表理事を務め、セカンドチーム「ロコ・ステラ」の選手としても活動している本橋に、4年間の変化と北京五輪の見どころについて聞いた。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
自分が出るより緊張しているかも
――日本代表のロコ・ソラーレが初戦を終えました。
本橋 これまでの取材やインタビューでは、「楽しみしかない」とか答えていたんですけれど、正直、緊張して観てました。
――4年前の平昌では、そこまで緊張はしなかったとおっしゃっていた記憶があります。
本橋 五輪の会場内ではストーンチェックだったり、チームへの声かけだったり、他国のコーチや選手への挨拶、ハーフタイムの準備などなど……。けっこう忙しかったので、緊張している暇はなかったのかもしれません。でも今回はテレビで応援するだけなので、自分が出るより緊張しているかもしれません。勝敗はどちらにしても、毎試合泣いてしまう気がします。
もっともカーリング選手らしいリード・吉田夕梨花選手
――北京で戦う5選手を中心に、本橋さんの目からみた人柄やエピソードを紹介してください。まずはリードの吉田夕梨花選手。ロコ・ソラーレ加入後、あるいはこの12年でどんな変化がありましたか?
本橋 夕梨花と一緒にロコ・ソラーレを立ち上げた時、彼女はまだ17歳でした。高校生、大学生になって、競技を続けることを理解してくれる職場に入って……と彼女の人生を進める中で、迷いもあったと思います。お給料をもらってカーリングをさせてもらう環境に慣れるのに戸惑っていた部分もありました。でも、だからこそ、今は彼女がある意味ではもっともカーリング選手らしいというか、誰よりも自覚と責任を持って氷の上に立ってくれている気がします。
――夕梨花選手がちょうど大学を卒業する2015/16シーズンにパシフィック・アジア選手権優勝、日本選手権優勝、世界選手権銀メダルと大きな結果が出たのもいいタイミングだったのでしょうか。
本橋 それもあるかもしれませんね。その時期にリンクして、お姉ちゃんである(吉田)知那美がロコに入ってきてくれたのも、夕梨花にとってもいい刺激になったはずです。夕梨花だけではなく、ちな(知那美)がまた改めてカーリングに向き合う決心をして、勝つことへの強い気持ちを持ち込んでくれたのは、私にとってもチームにとっても本当に大きな出来事でした。