最近、ごく近しい人がコロナワクチンを接種していないと知った。健康上の事情があるわけではない。思わず打たない理由を尋ねながらも、私は彼女の答えを聞くのが少し怖かった。
果たして、彼女が語るコロナワクチン(あるいはワクチンそのもの)への不信感は、どれも科学的には解決済みに思えた。集団免疫を獲得するという社会的な意義が考慮されていないのも気になった。それらを伝えようと試みたが、途端に硬化した彼女の態度から、その行為がお節介どころか、ある種の侮辱と受け止められかねないことを悟った。
コロナワクチンについてはこの2年間、研究者や医師らに取材を重ね、たくさんの記事を書いてきた。そんな自分が、いざプライベートな関係性の中で語ろうとすると、有効な言葉を見失ってしまうことに内心、動揺した。ワクチンについての科学的エビデンスはなぜ時に届きにくく、なぜこんなにも対話が難しいのだろう――。
人類学者のラーソンが書いたこの本は、今回のパンデミックの前に書かれたが、その問いに複雑だが納得のいく答えをくれた。
世界のワクチン忌避の状況は深刻だ。例えば2018年、欧州では麻疹が大流行し、子供と大人を合わせて約8万3000人の感染者と72人の死者を出した。これは同年の全アフリカ諸国の麻疹の患者数の2倍以上という。2019年にはさらに感染が拡大した。ラーソンはこの状況を山火事に例える。
山火事には火元がある。その一人が、かつて「MMRワクチンは自閉症を引き起こす」という論文を発表し、SNSも巧みに利用して影響力を広げた英国出身の元医師だ。すでに論文は撤回されているにもかかわらず、反ワクチン派の人々に熱狂的に支持されている。
だが、科学的に否定された噂が世界で広がり続けるのは、こうした少数のリーダーのせいだけではない。ラーソンはこう看破する。「ワクチンの問題は、現代医療が成功をおさめ、技術を過信したことで、技術の土台となるもの――政府に対する国民の信頼、大企業への信頼、社会的協調など――の脆弱さを見落としたことに原因がある」と。
希望を感じるのは、米国のあるティーンエージャーのエピソードだ。彼はワクチンを信じない両親のもとで育ち、18歳の時に初めて自分で予約を入れてワクチンを接種した。
世界ワクチンサミットで登壇した彼は、ワクチンの安全性と有効性は科学によって認められていると指摘した。その上で、ワクチンを打たせなかった母親の「悪意」を否定し、噂やデマを信じる人を悪者扱いせず、共感や敬意を持って相互関係を築くことを求めた。
「必要なのは、懸念、噂、白熱する議論を育む肥沃な土壌を根本的に変えること」だというラーソンの主張を実現するための、一つのヒントがここにある。
Heidi J. Larson/1957年生まれ。ロンドン大学衛生熱帯医学大学院人類学教授、リスクデシジョン・サイエンス教授。ワクチン・コンフィデンス・プロジェクトの創設者。ユニセフでグローバル予防接種コミュニケーション部門を率いた経験がある。
すだももこ/科学ジャーナリスト。毎日新聞記者を経て、NewsPicks副編集長。著書に『捏造の科学者』『合成生物学の衝撃』がある。