日本では戸籍法に基づいて、子供の生まれた日を含めて14日以内に出生届を提出することが義務付けられている。しかし、条件によっては出生届の受理が認められないケースもある。はたして、それはどのようなケースなのか。そして、受理が認められない場合には、我が子の戸籍をつくるためにどのような手段を取る必要があるのか。
ここでは、離婚・男女問題や無戸籍問題などを多く取り扱う弁護士、南和行氏の著書『夫婦をやめたい 離婚する妻、離婚はしない妻』(集英社)の一部を抜粋。実際に出生届の受理が認められなかった女性・ミミ子さん(仮名)のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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ミミ子の問題
福岡から上京し、20歳でデキ婚したが、夫のDV(ドメスティック・バイオレンス)が原因で流産する。夫から流産したことを責められ、さらに暴力を振るわれ、突発的に福岡にある祖母の家へと逃げ込む。そこで今の優しい夫と出会い妊娠。前夫と離婚が成立していないため、今の夫との婚姻届も子供の出生届も出せず、子供は無戸籍状態に。
最愛の人との間に生まれた、無戸籍の赤ちゃん
ミミ子は高校を卒業してすぐに福岡から東京に出てきた。
あれから7年、25歳だ。福岡では、父と父の彼女との3人暮らしが長かった。父の彼女とミミ子は、口も利かないほどそりが合わず、お金のない3人暮らしは家も狭く、息が詰まるような生活だった。だからミミ子は当てはなくとも、とにかく東京に出た。バイトで食いつなぐ、先の見えない生活だったが、それでも息苦しくはなかった。
20歳になってすぐに妊娠がわかり、付き合っていた男と婚姻届を出した。婚姻届を出す前から一緒に暮らしていた新宿区の狭いアパートで同じ名字になった。婚姻届を出すことの意味もよくわからなかったが、妊娠検査薬で妊娠がわかり、産婦人科に行くお金もなかったが、男は「子供ができたからケジメ」だと言う。男は汚い字で自分の名前を書いた婚姻届を渡してきた。婚姻届は、ふたりで新宿区役所に出しに行った。
婚姻届を出してから男はミミ子のことを「嫁」と呼ぶようになったが、ミミ子は「嫁」と呼ばれるのは好きではなかった。男には気に入らないことがあると殴る癖がもともとあって、ミミ子がつわりで寝込んでいると男は不機嫌になり、ミミ子を殴る。そしてミミ子は流産した。
初めて行った産婦人科で、処置を受けながら、ミミ子は身体の中で命が途切れたことを実感して泣いた。ミミ子は、自分が何を求めて生きているのか、わからなくなっていた。福岡から逃げるように東京に来て、今も何かから逃げるように生きている。ミミ子にとって身体の中の新しい命は小さな希望でもあったのだ。