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ミミ子の身体に再び新しい命が宿った

 処置後、アパートに帰るとまた男に怒鳴られて殴られた。流産はミミ子が悪いと言う。「流産で金がかかった」とも言われた。

 ミミ子は男から日常的に暴力を受けていたため、このあと、さらに男から容赦なく殴りつけられるであろうことはわかっていたので、「逃げるしかない」と、産婦人科で使わなかった1万円札を握ってスリッパのまま家を出た。

 1年後、ミミ子は福岡の祖母の家にいた。祖母は生活保護を受け、市営住宅で暮らしている。ミミ子が転がり込んだとき、祖母は嬉しそうな顔はしなかったが、それほど嫌そうな顔もしなかった。ミミ子はパチンコ屋でアルバイトを始めた。とにかくお金を貯めて、逃げなくてもいい生活を送りたかった。

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 そんな中、今の夫と出会った。パチンコ屋のバイトの先輩だったが、ミミ子より10歳も上だ。お笑い芸人を目指して大阪に行ったが、鳴かず飛ばずで、バイクで大けがをしたのをきっかけに福岡に帰ってきたという。今でも重たい荷物を運ぶときは片足をかばって引きずっている。お笑い芸人を目指していただけのことはあり、夫の店内アナウンスは面白く、常連客に人気だった。次第にミミ子と夫は互いに好意を抱くようになり、ミミ子は祖母の家を出て、夫のアパートへと移り住んだ。

 今度は転がり込むのではなく、ちゃんと引っ越しをした。ホームセンターで、4900円のチェストと3000円のクッション座椅子をおそろいで2つ買い、夫のアパートに持ち込んだ。夫はシングルベッドをダブルベッドに買い替えてくれた。

 夫は優しくてミミ子をいつも笑わせてくれる。パチンコ屋の帰りにふたりでスーパーに立ち寄り、安売りの食材を買って、家に帰ると夫は料理もしてくれた。

 そしてミミ子の身体に再び新しい命が宿った。ミミ子は幸せだった。今の夫とふたりの幸せが、またもうひとつ大きな幸せになるように感じた。自分と夫が新しい命を幸せにする光になりたいとも思った。

 産婦人科を受診して、夫が「出産までに結婚して、夫婦で子供を迎えたい」とプロポーズしてくれた。そのとき、ミミ子は新宿区役所で20歳のときに出した婚姻届のことが頭をよぎった

 結婚できないなんて夫に言えない……。

 ミミ子は翌日、福岡の区役所で離婚届の出し方を聞き、戸籍謄本を用意して、左手で男の名前を書いて判子を押して郵便で新宿区役所に送った。左手で書いた男の名前は、実際に字が下手くそだった男本人の字に似ているようにも思えた。