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天才セッター・中田久美の誕生前夜

 だが、政治の介入はこれで終わったわけではない。

 続くロサンゼルス五輪では、ソ連が東欧諸国と共に参加しないという、報復措置に出た。

 米ソ冷戦時代は、政治とオリンピックが分かち難く存在していたのである。

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 モスクワ五輪では金メダル確実と言われたキューバが予選でソ連に敗れ、勢いに乗ったソ連が決勝戦で東ドイツを3-1で破り、8年ぶりの金メダルを獲得した。

 モスクワ五輪混乱の傍観者だった山田は、それでも不参加に激しい怒りを見せていた。

 当時ある雑誌にこんなコメントを残している。

「ソ連のアフガン侵攻も犯罪だろうけど、カーター大統領はそれ以上の犯罪者だよ。5つの輪をズタズタにしたんだからね。もし政治がスポーツに介入するなら、逆にスポーツが政治に介入してやればいいんだ」

 山田はその怒りを情熱に変え、モントリオール五輪直後から開校した少女バレー教室、「ロサンゼルス・エンジェルス」の指導に躍起になっていた。

不参加となったモスクワ五輪が、やがて中田久美を生む英才教育プログラムにつながる ©文藝春秋

 名前の通り、ロサンゼルス五輪に出場する選手を手塩にかけて育てようとしていたのである。

 全国から応募があった数1000人の中から、将来性が期待される少女を十数人選抜し英才教育を施す。山田が再び世界を制覇するためのプランだった。