ぎこちない不均衡
米軍慰安婦問題を提起する社会運動家たちは、韓国国民と政府が日本軍慰安婦問題に対して注いでいるような関心と配慮が、米軍慰安婦問題にも同様に注がれるべきだ、と主張しています。私も、米軍慰安婦と日本軍慰安婦は、その歴史的属性において同質的であると思います。しかし韓国民は、米軍慰安婦に対しては、特別な関心を示していません。さらに奇妙なのは、日本軍慰安婦問題に従事する社会運動家たちも同様であるということです。彼らは、日本軍慰安婦と米軍慰安婦は異なる問題だと主張し、一線を引いて来ました。
この、ぎこちない不均衡は、何でしょうか? 私から見ると、両グループの主張は、政治的であるという点では同様です。それでも、政治的波長の大きさは全く異なります。他ならぬ反日種族主義がその答えです。日本軍慰安婦問題に対して韓国人たちは、限りなく憤怒します。反日種族主義という集団情緒が作用するからです。
しかし、米軍慰安婦問題に対しては、そのように反応する集団情緒がありません。「私は日本軍慰安婦でした」と告白した女性は百七十余人もいますが、「私は米軍慰安婦でした」と告白した女性はわずか2、3人しかいません。まして「私は韓国軍慰安婦でした」と告白した女性は、たったの一人もいません。告白することを勧められた女性がいることを知っていますが、頑なに拒否したそうです。なぜでしょうか? 彼女たちを保護し、支援してくれる集団情緒が、そこでは作動しないからです。
保護と支援どころか、「歴史的に最も古い職業」に従事した卑賤(ひせん)な女性、と言われ投げ出される危険性が遥かに大きいからです。日本軍慰安婦問題の底には、韓国人の日本に対する種族主義的な敵対感情が潜んでいます。解放後の「我々の中の慰安婦」に対する考察は、このような問題意識を呼び起こします。