面談は撮影禁止というルールに「何を隠してるの?」と訊きたくなる
――カメラを隠し、面談の場をどのように撮影したのでしょうか?
トーマス 最初にまず、映す人たちには「記録できるなら撮って欲しいですか?」という確認を取りました。ただ、いつどうやって撮っているかは、本人たちにも伝えませんでした。
手続きさえすれば“牛久”の取材は誰でもできますが、録音・録画はダメ。メモを取るだけ。しかもマスコミ取材だと、担当の職員が立ち会ってずっと聞いているんです。
私はルールを破ってしまったわけですが、そもそも、どうして記者が録音できないのでしょう? あそこは刑務所でもなければ、収容されている人たちは犯罪者でもないのです。
隠し撮り、隠し撮り、と言うけれど、私が撮ったのは、自分の状況や現実を話し伝えている人間だけです。勝手に立ち入り禁止の場所に入り込んで秘密を暴こうとカメラを回したわけではありません。そもそもどうして録音・録画禁止というルールが存在しているのかがわからない。「何を隠してるの?」と訊きたくなりませんか。そこを考えてもらいたいです。
それにこの作品で一番衝撃的なのは、私の撮った面談の映像よりも、むしろ入管側が撮っていたビデオ(収容されている外国人が入管職員に暴力的に制圧されている映像)ですよね。
――この作品を撮影するなかで、一番大変だったのはどんなことでしょうか? 作品の半ばで「問題が起きて面会に行けなくなった」というやり取りがありましたが、それは撮影していたのを入管側に知られてしまったからでしょうか?
トーマス そこは映画でも明確にしていません。このとき何よりも問題だったのは、私が彼らに面会できなくなることでした。なぜなら差し入れができないと、その間に病気になったり健康を害してしまう人がいるからです。スポーツドリンクしか摂取できない人もいるのに、私からの支援ができなくなってしまったら……。映画が作れなくなるとか、そういうことは別にどうでもよかったんです。
――当時、一緒に面会に行っていたボランティア仲間はいなかったんでしょうか。
トーマス 「撮影をして映画化する」という道を選んだ時点で、周りに迷惑がかからないよう単独の活動に切り替えましたから、この頃、面会は自分ひとりだけで行っていました。