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竹倉 2年間毎日、寝ても覚めても土偶のことだけ考えてドキドキワクワクしていました。謎の古文書を自分が最初に解読してやろうみたいなロマンがあるじゃないですか。

みうら 考古学の研究者からしたら、竹倉さんのような新参者が出てきたらウザいと感じるかもしれないけれど、詳しくないからこそ柔らかい発想で思いつくことってたくさんありますからね。松本清張の考古学研究と似たところを感じます。犯人捜しの推理小説みたいで。

“美大脳”と“東大脳”

竹倉 今の考古学では「はっきりとわからないことなんだから結論を出しちゃいけない」みたいな空気があるんですよね。一方、教科書には「土偶は女性をかたどったものだ」などと書いてあるわけです。

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みうら 「縄文のビーナス」なんて名前のついたものもありますしね。

みうらじゅん氏は武蔵野美術大学卒業 ©文藝春秋

竹倉 それに違和感を覚えて調べてみようとなったわけです。そのとき、かつて私もみうらさんが卒業した武蔵野美術大学に通っていたんですが、その経験がすごく活きてきました。学問の世界に入る前に美大でデッサンの勉強をしたことで、右脳が鍛えられて、ものの形を見る回路が強化されたんです。

みうら わかります。一度絵に描いてみると理解力が増しますから。

竹倉 美大を中退して東大に入ったら、人種が違いました。同じハトを見ても、東大の人たちはコンセプトが先なんです。鳥類というカテゴリーだったり、生態だったり。武蔵美むさびの友人の場合は、「首のラインが」とか「羽の色のグラデーションが」などといってデッサンし始める。

土偶のフォルムに注目したことが研究のブレイクスルーに ©文藝春秋

みうら 骨格のこともやたら言うもんね。

竹倉 研究者というのは、ずっと文献ベースでやっているので、土偶のフォルムそのものをちゃんと見ていないというか……。

みうら そこが作り手と評論家の違いですよね。謎なものって、まず作り手の側に立って見ないとわからないことがありますからね。竹倉さんの本を読んで、自分の中にさらなる「仮説ブーム」が起きたんですよ。千手観音の絵を描いていたとき、ふと「これは樹木なんじゃないか」と閃いたんです。仏像はついつい人型を模していると思いがちだけど、顔さえ取ってしまえば樹木で、異形感はないわけです。1000本生えているとされる腕も、枝だと思えばね。日本の神木信仰とも合致して、当時の人もスムーズに受け入れたフォルムだったんじゃないかなと。それは実際に描いてみないと気がつかないことですから。