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『姫君を喰う話』で再び脚光を浴びた“伝説の作家”宇能鴻一郎87歳の告白「ポルノ小説は最も詩に近い純粋なもの」

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 最初は週刊誌だったかな。女性の1人語りで書き始めると、あちこちから注文が殺到しました。特にスポーツ紙や夕刊紙の読者と相性が良かったんでしょうね。連載は何本やっていたかわかりませんが、月に1000枚以上書いたのは覚えております。30代から40代の頃です。

 産みの苦しみを感じたことは全くなかった。自分で面白がって、次から次へと楽しく書いていました。新聞の連載は分量が短いですが、ポルノはヤマ場を入れやすい。登場する女性を、作品ごとに書き分ける苦労もありませんでしたね。

「ポルノ界のモーツァルトになりたい」

 親しい編集長からは、「書く舞台を選ばなきゃいかん」と怒られました。『オール讀物』や『小説新潮』といった中間小説雑誌はいいけれども、そのほかの読み物雑誌に書くのは止めろと言われた。しかし僕は、自分の書く雑誌や新聞が一流なんだと思って、構わずに書きました。

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「ポルノ界のモーツァルトになりたい」と言って笑われたこともありました。モーツァルトは多作でしたが、注文された仕事を次々こなして素晴らしい作品を残しているでしょう。ポルノ小説は最も詩に近い純粋なものと考えていたし、早く書き上げる能力はモーツァルトと言われてもいいと思いますがね(笑)。

 ただし、遊び回る暇はなかった。執筆時間は特に決まっておらず、朝起きたらテープレコーダーに吹き込んで、秘書に原稿に書き起こしてもらいました。喋るように書いていたわけです。原稿料が高いといわれましたが、自分から交渉したことは一度もない。僕はどんどん改行して書くから余白も多く、一文字あたりで考えると破格だったでしょうね。

 ポルノ作家のイメージは、女性好きかもしれません。僕の場合好きというよりは、女性に好かれるほうでしょうか。ご経験が豊富なんでしょうと言われましたけど、ほとんど想像です。あんなふうに経験していたら、死んでしまう(笑)。作者の実体験だと思わせたほうが、読者は喜びます。さてどこまでが想像で、どこからが事実なのか。商売ですから、針小棒大が才能の見せ所です。

 現在、宇能氏は、横浜の小高い丘にそびえる洋館で暮らす。敷地面積600坪に、蔦の絡まる白亜の壁は伝説の作家の住処にふさわしいミステリアスな佇まいである。シャンデリアが下がる広間の壁面に大きな鏡が何枚も嵌め込まれているのは、ダンスパーティーを開くためだ。赤い絨毯の敷かれた螺旋階段を上がると、生活と執筆の場がある。

横浜の小高い丘にそびえる洋館で暮らす ©文藝春秋

満州で培った官能と猥雑さ

 ずっと売れっ子だったわけではありませんが、45年間書き続けました。自分の顔を世間に晒したくなかったので、ほとんど写真も出さず、テレビ出演も断わっていた。それに飲み歩くこともなかったですね。銀座で幅を利かせていた作家もいましたが、面白くもなんともなかったですからね。編集者との付き合いで足を運ぶ程度でした。