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『姫君を喰う話』で再び脚光を浴びた“伝説の作家”宇能鴻一郎87歳の告白「ポルノ小説は最も詩に近い純粋なもの」

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 当時の出版社は、僕と川上宗薫と富島健夫の3人をセットにして売りたがりました。1人でも欠けちゃいかんというわけで、随分、書かされました。川上宗薫の小説は、掲載した雑誌の編集長が警察に呼ばれて怒られたらしいです。当時はまだ、わいせつに厳しい時代ですから。僕の場合は「あっ……」「ソファに座ると突然専務さんたら……」と「……」が多くて、具体的に書いてない(笑)。一度も警察に呼ばれたことはありません。だからあんまりエッチじゃなかったんですよ、僕のは。

川上宗薫氏 文藝春秋

 1934(昭和9)年、北海道札幌市に生まれた宇能氏は満州で育った。終戦で引き揚げ、福岡県で暮らす。芥川賞を受賞したのは、東大文学部国文学科を卒業して大学院に在学中、27歳のときだった。受賞作「鯨神」は、明治初期の九州平戸を舞台に、鯨獲りの若者が祖父、父、兄を殺した大鯨に復讐を挑む土着の物語だった。

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 芥川賞の選評で、選考委員の丹羽文雄氏は〈宇能君はどんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする〉と将来を予測し、舟橋聖一氏も〈この人の将来は、興味深い未知数である〉と書いた。

 その予想通り、宇能氏は、官能のほか、食味随筆や旅行記、「嵯峨島昭」のペンネームによるミステリーへと、フィールドを広げていった。

芥川賞で結婚できた

 性、食、暴力には官能的という共通点がある。「姫君を喰う話」の冒頭、タンを女性の舌に譬えた描写が官能的だと言われました。女性はイヤらしいと思うかもしれないけれど、僕にとっては自然です。

 東大では、原始古代日本文化を研究しました。僕がやっていたのは記紀歌謡と言いまして、古事記と日本書紀に入っている歌です。小説は、大学院生の頃から同人誌で書き始めました。最初の同人誌では、北杜夫さんや佐藤愛子さん、川上宗薫が仲間でした。しかし好きなように書かせてくれなかったので、新しく『螺旋』という同人誌を作りました。ある建設会社会長のお妾さんが、資金を援助してくれたのです。

 その創刊号に書いた「光りの飢え」という作品が芥川賞の候補になって、その次の回で受賞となった。芥川賞をもらって、「書く仕事で食べていけるかな」という感触がありましたね。当時、結婚を前提に家内と付き合っていたのですが、家内の親には反対されていた。芥川賞は、結婚を納得してもらう格好の材料になったわけです。