関西の私学で教鞭を取る傍ら、国内外の中等教育校のスーパーバイザーや教師向けのインストラクターを務める林純次氏は、自身の経験をもとに「日本の学校では学力が伸びない」旨を指摘する。そうした主張の理由の一つには日本の学校のシステムにが挙げられるというが、具体的にはどういう点が問題なのだろう。
ここでは、林氏の著書『学校では学力が伸びない本当の理由』(光文社新書)の一部を抜粋。日本の学校が児童・生徒にどのような心理的影響を与えているのか、具体的な事例を交えながら同氏の考えを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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同級生からいじめを受けやすい、日本の学校のシステムとは
学力・能力から視点を変えて、児童・生徒への心理的影響について述べていきたい。
まず日本の学校システムは、同級生からのいじめを受けやすいシステムである。
「学級集団の実態には、個々の構成要員がもつ個人特性としての差異がある。いじめられっ子が標的にされるのは、ある偶発的行動やその外観そのものが悪いのではない。たまたま他者によって微妙な差異性を捉えられ、いじめられっ子のイメージを共有されたところから、いじめのイメージ・シンボルが付与されたり、個人のもつ過去の『いじめ・いじめられ経験』がいじめという集団からの『制裁』を怖がって、ある鞘当てをするところから始まる」(*1)とは千葉商科大学大学院教授・田中美子の分析だが、首肯せざるを得ない指摘だ。
*1 田中美子「いじめ発生及び深刻化のシステム論的考察」(2009)
小学生から中学校くらいまでは特に、自己と他者の差が違和感に、時として不快にすら感じられることがある。同一の場所で、同一のカリキュラムを、同一のスピードで消化することを求める日本式では、平均値から外れた子と一般的な子との差異が明確になりやすい。だからなのか、日本のいじめは学校の教室で、同級生によって同じ被害者相手に長期間にわたって行われるとされてきた(*2)。これに対して欧米のいじめは、発生場所は校庭が多く、異年齢の子供が加害者となるのだという。
*2 森田洋司ら『日本のいじめ』(1999)
人や集団が自分を攻撃してくる、と感じたまま、その空間に通い座り続けることは酷だ。ましてや、一緒に食事をしたり、手に手を取ってダンスをしたり、学び合いと称した話し合いをしたりしなければならないことは苦行だと感じられるだろう。教員の一部にはそのいじめを先導する輩もいて、他の成人の目がない空間でさも自分が正しい王様かのように振る舞う。この振る舞いを許してしまう監視なきシステムも問題だ。