自己評価の低下を恐れる教育現場の隠蔽体質
もちろん、いじめを先導する教員は少数派であり、大多数は「うちのクラスでいじめを起こさないでくれ」と願っている。
理由は二つ。一つはマイナス査定の村社会に生きる教員にとって、問題が起きることで自己の評価が下がることの不利益が甚大に映るからだ。
大阪府吹田市の小学校で2015年から1年半にわたっていじめを受け続け、視力障害を負った女子児童のSOSは担任の教師に握り潰されていたし(*3)、岐阜県の中学3年生男子が自殺した件では、同級生の女子生徒が担任に窮状をメモで訴えていたにもかかわらず、そのメモを廃棄していただけでなく問題の解決に勤しもうとすらしていないのだ(*4)。
*3 朝日新聞「小学校が『いじめ傍観』 1年半放置、女児が視力障害に」(2019/6/12)
*4 産経新聞「いじめメモ廃棄 教師が救わずに誰が救う」(2019/7/11[2022/1/15閲覧])
彼らにとって自己評価の低下は重大かもしれないが、社会的には、それを隠蔽したり、解決のために動かないことの方が何倍も重く、大きいことなのだが。
この傾向を強めるのは、管理職や法人が隠蔽体質であることからも説明がつく。
2007年9月13日、東京都練馬区の公立中学2年の男子生徒(当時13歳)が、帰宅直後に自宅浴室で首吊り自殺を図った案件も校長によって隠されたし(*5)、2016年10月6日、兵庫県神戸市垂水区で市立中学3年の女子生徒(当時14歳)が自殺した事案でも、同級生らの聞き取りの際、学校はメモを作成していたが、隠蔽が発覚している(*6)。2021年2月に発生した旭川の中学生いじめ自殺事件も同様だ(*7)。
*5 練馬・中2首吊り自殺 いじめを1年隠蔽し続けた“校長の言い分”(2020/2/6[2022/1/15閲覧])
*6 朝日新聞「神戸の中3自殺『教師寄り添えば救えた』 再調査委指摘」(2019/4/16)
*7 文春オンライン「『娘の遺体は凍っていた』14歳少女がマイナス17℃の旭川で凍死 背景に上級生の凄惨イジメ《母親が涙の告白》」(2022/1/15閲覧)
いじめがあっても、なかったことにしておきたい教員たち
もう一つの理由は、単に面倒臭いのである。教員の多忙は書いてきた通りだ。その上で解決までの道のりが遠く、非常に煩雑かつ精神的に疲れるのがいじめ問題である。私も経験してきた。だからこそ、誰かに任せてしまいたくなるし、なかったことにしたい。いじめ問題が顕在化していないのであれば、「このまま起きないでくれ」と手を合わせる。そんな心情があるとしても、人様の子女を預かっているのだから、普通の教師はいじめが起きそうになったり、起きてしまったりしたら解決に向けて全力を尽くすし、上司に報告もするものだ。
それでも、教員の劣化が止まらない潮流のなかで、これからも隠蔽が行われたり、生徒が教員の心ない対応に苦しむことは予想される。事実、先の旭川の事件では、暗くなった娘を心配した母親が担任に相談したとき、「今日は彼氏とデートなので」と取り合ってくれなかったこともあったと報じられている(*8)。
*8 文春オンライン「『ママ、死にたい』自慰行為強要、わいせつ画像拡散……氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”《親族告発》」(2022/1/15閲覧)
いじめの被害者になっている生徒はもちろん、その空間にいたくないと感じる者にとって、学校や学級は学びに集中できる場所ではないとご理解いただけるだろう。