小学校2年生くらいからずっと絵を描くことが好きで、いつか漫画家になりたいと思っていたんですよ。でも、両親には「国家資格を取ってから目指したらいい」と言われたので、確かにと思って医療系の学校に進学して資格を取りました。親には「奨学金返すまで働かないとね」と言われたんですが、なんだかんだでその職を続けて漫画家目指さなくなったら嫌だなと思って。それで学校卒業後に、両親とたくさん話し合って、「3年で漫画家にならなかったら戻って就職する」と言う約束で東京に出てきました。
なぜ東京に出たかですが、圧倒的に情報量の多い東京で、たくさんのことを経験してマンガに活かそう、と思ったからです。
客から「この店が潰れたらお前のせいだからな」と脅されたことも
──鳥取でスナック勤務経験があるとはいえ、東京はお店の規模やキャストのレベルも違いますよね。気後れしませんでしたか?
茅原 私はヒマチでかなり物騒なことが色々あったので、最初に東京に来たときは、むしろ整備されていて安全そうだなと思いました。私がヒマチで働いてた店では、ボーイが血まみれの喧嘩騒ぎを起こしたり、店の外にドラッグ中毒者がいて出れなくなったり。東京ってキレイなまちだな~、と思ったくらいです(笑)。
──では「何も知らずに地方から出てきて怖い目にあった」ということはなかったのですね。
茅原 水商売にトラブルはつきものなので、怖い思いはたくさんしましたよ。でもそれは鳥取でもあったので、「東京だから怖い」ということは、あまり経験はしてなかったと思います。
──ちなみに、どのような「怖い思い」をされたのですか? 差し支えない範囲で教えてください。
茅原 私の対応が気に入らない客から「この店が潰れたらお前のせいだからな」と脅されたこともありましたし、閉店後にキャストを自宅まで送る担当ドライバーさんが居眠り運転をして、あやうく死にかけたこともありました。
東京では、私はマンガを描きたいのに鬼電されたり、5時間くらいずっと「セックスしよう」しか言わない週3で来る本指名の方とかもいて、対応に困ってたことがあります。本当に、いろいろなお客様がいらっしゃるので、ある意味いい人生勉強になったと、いまでは思います。
──『ヒマチの嬢王』の迫力や説得力は、そんな怖い経験からも生まれているのですね。漫画家として大成功されたいま、反対されていた親御さんの反応は変わりましたか?
茅原 親は私が漫画家になることが反対だったわけではなく、食べていけるかどうか分からない道に進むのが心配だっただけなんです。だから、マンガでしっかり食べていけると分かったいまは、にっこりしていますよ。
「ここで取り上げられていたよ」とか、「Twitterのフォロワー数が26万人になったね」とか、私より情報が早いんです。多分親がいちばんの応援者で、いちばん楽しみにしてくれている読者です。
はじまりのきっかけをつくってくれたヒマチと親には感謝しています。
(撮影:山元茂樹/文藝春秋)