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「未だに日本が世界一だと勝手に考えているだけなのです…」中国に移住した“サラリーマン漫画家”が語る“日本漫画界”のリアルな現状

『架僑 中国を第二の故郷にした日本人』より #1

2022/03/02
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小心者の売れない漫画家が、なぜ北京に?

 いつも「すみません、僕なんか取材して番組が成立しますか」と恐縮している浅野さんは、「僕は本当に小心者で、優柔不断なんです」という言葉にもうなずいてしまうほど、食事のメニューを決めるのにも凄く時間がかかる人だ。だが、日本を離れて中国・北京に移住することには、何の迷いも恐れもなかったという。

 浅野さんが中国に来たのは2015年。それまでは、神戸の大学で先述した大塚氏(編集部注:浅野さんは多くのヒット作をもつ漫画原作者・批評家の大塚英志氏に師事し、大学で漫画の歴史を学び、描き方を研究し続けてきた)の助手を務める傍ら、漫画を描いていた。初めて中国に訪れたのは2013年。中国の大学に招聘されて、「漫画の描き方」の講座を担当したという。

 大塚氏は世界の漫画を研究し、日本の漫画の描き方を世界で教える活動をしていたが、その一環で、北京の大学から講師を一人派遣してくれと頼まれた。その時、たまたま浅野さんに白羽の矢が立ったそうだ。浅野さんを招聘した大学は北京電影学院。中国ナンバーワンの映画大学で、チャン・イーモウを始めとして、多くの有名スターや有名監督がここから巣立っていった。当時の浅野さんは、そのような超有名大学であることは知る由もなく、ただ言われるままに北京に行き、講義をした。

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「衝撃的でした。学生たちの熱気は凄く、漫画にかける情熱は半端なく、私は質問攻めにあいました。彼らの作品を見たら、学生とは思えないほどレベルが高く、僕のような日本の売れない漫画家が彼らに何を教えられるのか、圧倒されてしまったほどです。それでも、自分の持っているものを全て伝えようと、無我夢中で講義しました」

 3日間の講義は、学生たちからの反応がとてもよく、これまで感じたことのない充実感を覚えたという。

31歳の日本人漫画家にインタビュー

 私は、浅野さんの中国での原点となる場所を見てみたくなり、北京電影学院に一緒に行ってもらえませんかと誘った。これはドキュメンタリーによくある手法だが、その人にとって大切な、思い出の詰まった場所に行くと、記憶が突然蘇り、思いがけない話を聞くことができる時があるのだ。

 私たちが北京電影学院に着くと、正門の前には人だかりができていた。私たちのように、カメラを持ったメディアがいくつも来ていた。正門からは、高身長の美男美女たちが次々に外に出てくる。

「あー、今日は大学の入学試験なんですね」

 今日は未来のスターを目指す若者が入学を希望する演技科、つまり「俳優学科」の試験があるという。日本でいえば、宝塚音楽学校の合格発表日にメディアが集まるのと同じようなものだろう。

 周りのメディアが未来のスターたちにカメラを向け将来の夢を聞いている中、我々はそこで31歳の日本人漫画家にインタビューをした。