2010年代後半、最先端の技術に触れようと世界屈指の未来都市「深圳」へ視察に出向く日本企業が爆発的に増えた。しかし、中国在住のでドキュメンタリー監督、竹内亮氏によると、当時の深圳の一部企業では「もう日本企業の視察は受けたくない」といった声が上がっていたという。なぜ日本人の深圳視察は歓迎されなかったのか。

 同氏の新著『架僑 中国を第二の故郷にした日本人』(KADOKAWA)の一部を抜粋し、深圳のリアルを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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日本人ブームが去った後の深圳

「日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと」

 文筆家の藤田祥平さんが上記の題名で書いた、中国版シリコンバレー・深圳観察記が日本の一部で話題になったのは2017年末のことだ。それから約3年後の2021年1月、私は深圳に向かっていた。当時、「日本が中国に完敗した」という表現はいささか誇張があるものの、未だに中国を下に見る日本人がいる中、インパクトがある表現で良いタイトルだと思った。2017年時点で、日本は多くの点で中国に既に後れをとっていたが、私が日本出張時に年配の人と話をすると、未だに10年前ぐらいの中国像に留まっている人がおり、絶望的な気持ちになっていたからだ。

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 しかし、2018年頃から日本企業の中で急速に「深圳詣でブーム」が始まった。当時、上海に住む私の友人が日本企業の幹部向けに「深圳視察ツアー」を組む仕事をしていたが、申し込みが殺到して忙しそうだった。視察ツアーの中身は、深圳を代表するテンセント、中国版秋葉原と言われる世界最大級の電気街・華強北路、深圳のベンチャー企業巡りなどが中心だ。私はこの日本企業の視察ツアーを酷く嫌っていた。流行りものに飛びつくのは企業人としてはいいと思うが、内外から見聞きする限り、「最近流行の深圳に行って来た。確かに深圳は凄い」という、観光客とほぼ変わらないレベルでしか物を見られない人が多数を占めているように見えたからだ。

 私の知り合いの中国企業人も、「もう日本企業の視察は受けたくない」と言っていた。なぜなら、彼らは本当に視察をするだけで終わるからだ。欧米の企業が深圳の企業を視察する場合は「何か一緒にビジネスをできないか」と、具体的な提案を持って視察に来るケースがほとんどだという。視察を受け入れる中国企業も暇ではない。特に人が限られるベンチャー企業は、朝から晩まで業務がぎっしり詰まっている中で時間を割き、将来何か一緒に協業できるチャンスがあるかもしれないという期待をこめて、日本企業の視察を受け入れているのだ。

深圳の街全体がIT化

 しかし、先述の視察ツアーを運営する友人曰く、ほとんどの日本企業視察団のオッサンたちは、会社案内を聞き、オフィスを見学して、名刺を交換して帰っていくだけだったという。一応「今後一緒に何かビジネスができたら良いですね」と言い残して帰るものの、その後にビジネスが進んだという話は、私が知る限りは聞いたことがない。

 確かにここ数年、深圳はとてつもないスピードで成長をしている。かつては中国の都市と言えば「北上広(北京・上海・広州)」と言われていたが、最近では深圳を入れた「北上広深」と言われるようになって来た。

 深圳には、一時は世界時価総額ランキング7位にもなったテンセントに、世界的に有名な通信企業であるファーウェイ、世界1位のドローン企業・DJIなど、錚々たる企業が軒を連ねている。さらに、中国版シリコンバレーと呼ばれるだけあって、IT、AI関連の最先端科学技術ベンチャー企業がここで多数起業しており、アメリカ市場に上場準備中のユニコーン企業もたくさんある。第2、第3のテンセントを目指して今も多くの若手起業家が鎬を削っている。加えて、深圳の街全体がIT化しており、空港のチェックインも無人になるなど、まさに「未来都市」にふさわしい雰囲気が漂っている。