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 知華はおとなしく控えめな性格だったが、一輪車でもローラースケートでも簡単に乗りこなすくらい運動神経が良かった。4歳から英会話を習っており、小学5年からはじめた書道では何度も賞をもらった。目立つわけではないが、いつも大勢の友達に囲まれていたのは、やさしい人柄ゆえだった。

 学校生活がうまくいかなくなったのは、小学校3年の時だ。同じクラスに少女A子が、家の事情によって転校してきたのだ。A子は直接暴力を振るうわけではないものの、みんなの前でわざと悪口を言ったり、嫌がらせをして追い詰めていく面があったという。

 知華はそんなA子と中学も一緒になったことで、苦手意識を膨らませることになった。

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高校でもA子と一緒のクラスに

 中学を卒業後、知華は地元の県立高校へ進学した。一学年に3クラスあり、1組が体育コースと美術工芸コース、2組が就職コース、3組が進学コースにわかれ、それぞれ三十数名が在籍していた。

 この学校でも、知華はA子と一緒になった。人口の少ない地方ではよくあることだが、小中時代の狭い人間関係が引き継がれてしまったのである。高校は定員割れしていたこともあって、小中と比べると問題を抱える生徒の割合が比較的高かった。

 かつてそういう高校には不良生徒が多かったが、今は人付き合いが苦手でおとなしく、どちらかといえば気弱だったり、学校を休みがちだったりする子が大半だ。逆に騒ぎ立てるタイプの子は一様に精神年齢が幼く、クラスメイトに茶々を入れるとか、落ち着かずに歩き回るなど小学生のような未熟な行動が目立つ。

 知華は3組に入り、大学への進学を目指していた。几帳面な性格だったこともあって、黒板の板書を丁寧にノートに書き込み、苦手な数学については家庭教師をつけてもらっていた。将来は地元の福祉系の大学か、専門学校へ進んで、医療系の仕事ができればいいと思っていた。

画像はイメージです ©iStock.com

他のクラスメイトにも嫌がらせをしていた

 だが、クラスの雰囲気は、知華の理想とはほど遠かった。同じクラスにA子がいたからだ。同級生は、当時のクラスの雰囲気を次のように語る。

「クラスではA子さんやその友達の“圧”がすごく強かったです。暴力はふるわないんですけど、些細なことで、人のことを『うざい』とか『キモイ』と言ってきたり、体格や容姿をからかうような仕草をしたりするんです。授業中も休み時間もずっとそんな言葉が飛び交っていました。おとなしい生徒は気が滅入って聞くのをシャットアウトするか、嫌になって中退してしまうかでした」

 A子たちは知華だけを目の敵にしていたのではなく、他のクラスメイトにも嫌がらせをしていたらしい。しだいにクラス全体に悪意のある言葉が広まるようになり、多くの生徒が日常的に他人を貶める言葉を口にするようになっていく。「キモイ」「うざい」が口癖となり、「死ね」という言葉が軽くつかわれるようになって、誰かに向けられる。日々誰かがクラスメイトたちから悪態をつかれるターゲットになっていたのである。