1998年、長野オリンピックスピードスケート男子500mで金メダルを獲得した清水宏保さん。2010年に現役引退後は、日大大学院のグローバル・ビジネス研究科で医療経営学を学ぶなど、未来図を模索したという。その後、「どん底」だった時期を経て、整骨院を開業。現在では、訪問看護、リハビリ施設やサービス付き高齢者向け住宅など、福祉ビジネスを札幌で多角的に経営している。

 メダリストであっても引退後の道に悩む選手が多い中、清水さんはどのようにセカンドキャリアを見つけたのか、話を聞いた。(全3回の2回目。#1#3を読む)

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引退後すぐセカンドキャリアの現実を目の当たりに

――五輪で多くの感動を与えてくれる選手たちですが、セカンドキャリアには皆さん例外なく悩んでいますね。

清水 そうなんです。北京からの帰国の時、空港で森重選手に会いましたが、彼はこの4月から大学4年になるのにまだ就職先が決まっていないと言っていました。就職ができなければ競技も続けられません。

 競技を引退するとすぐに、セカンドキャリアの現実を目の当たりにします。自分の競技を生かして指導者や解説者、タレント、政治家などの道が開ける人はほんの一握り。

 多少間口に余裕がある野球選手などは、競技に関連する職業に就いたり、あるいは飲食業を始める人もいますが、成功する人は少ないと聞きます。

 ましてやオリンピック選手は、これまでのキャリアを活かせる生き方ができる人は数えるほどしかいません。運よく解説者になったとしても、仕事の場は4年に1回しか巡ってこないし、これでは生活できない。アスリートにとってセカンドキャリアは深刻な問題です。

ZOOMで取材をうける清水さん

――清水さんは現在、札幌市で多角的な福祉ビジネスを起業し、実業家として活躍しています。でも、トリノ五輪直後に清水さんが語っていた言葉がまだ耳に残っています。「32歳の自分は同級生に比べ、今社会に出たとしても10年の遅れがある。その遅れは致命的。焦りしかない」と。金メダリストでもそれほど将来に不安を抱くのかと驚きました。

清水 結局トリノ五輪の後もバンクーバーを目指して現役を続け、引退したのは35歳。セカンドキャリアの未来図が見えず、自分の競技人生に踏ん切りがつけられなかった。

 その間、色々悩みましたよ。僕は3歳からスケートを始め、32年間も人生を懸けてきた。その32年間のキャリアを活かせない人生って何だろう、って。このキャリアをしっかり活かした生き方をしないと、子供たちに夢を与えられないので、子供たちがスポーツをやらなくなってしまうし、ましてやスケートをやらせようとする親御さんも少なくなってしまう。親は子供の競技にお金をかけても全く回収できない構図ですから。

 最近は「スポーツの力」とあちこちで言われていますが、そもそもスポーツの力って何だろう、と考えますね。競技者がファンに夢や感動を与えるだけでなく、競技者自身も心豊かにならないと、本当の意味のスポーツの力にはならないのではないか、と。

 だから、競技者に投資されたものを回収できるようなビジネスモデルを作りたいと考えたんです。