日本にいたという“足跡”が消えてしまう前に
事件が起きたのは、日本と中国の間に「日中刑事共助条約」が締結される数カ月前。現在はこの条約により、日中両国の捜査機関が外交ルートを通さずに証拠や情報を交換できる。だが当時、被疑者に関する情報収集は、中国大使館を通して中国公安部に問い合わせるか、通称“インターポール”と呼ばれる国際刑事警察機構(International Criminal Police Organization: ICPO)を通すしかなく、どちらに依頼しても、返答までにかなりの時間を要したのである。
外国人犯罪では、人物特定に時間がかかると犯人確保が難しくなる。
「特に密入国者では、何らかの手を使って帰国されてしまえば、入国管理局による出入国記録がないため、彼らが日本にいたという“足跡”が一切消えてしまう」(元刑事A)
組対2課はここで奥の手を使った。中国政府関係者に直接、捜査協力を依頼したのだ。同じことは、今でもそう簡単にできることではないと元刑事Bはいう。
「警察庁、警視庁の中で、中国と独自にホットラインを持っていたのは、あの当時はおそらく組対2課だけだろう。互いに信頼できる人間関係がなければ、依頼など無理だった」
インターポールを通しても、返事まで数カ月かかるような依頼への答えは、捜査員らが想像していた以上に早かった。
入国管理局に残っていたパスポート情報
「どんな内容が出てくるのか、それでも何らかの答えはくれるだろう。そう思っていたが、数日のうちに男の出身地、名前、家族について情報を提供してくれた。これで被疑者の本名を把握することができた」(元刑事B)
実際の捜査協力では、締結された条約より人間関係を土台としたつながりの方が強くて確かだというのは、どの国においても同じだ。組対2課だからこそ、入手できた情報であった。
だが、送られてきた情報はあくまで“情報”でしかない。公式な書類での確認にはならない。捜査員たちはこの情報をもとに、さらに捜査を続けた。そしてついに、男が以前、本名で入国しようとして入管に拒否され、空港からそのまま中国に帰ったという事実を掴む。
「入管に男のパスポート情報が残っていた。この事実から、正式に男の本名と生年月日を確認し、ようやく捜査令状を取ったんだ」(元刑事B)