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 おっとりしたリリーは、断続的に続く余震にも動じなかった。犬小屋にいるのを見つけて、話し掛けたり、頭を撫でたりする避難者もいた。緊張と不安で神経が高ぶっていた人々は、柔和なリリーとのひとときに癒された面もあったのではないか。

政府が知らせなかった「事実」

 そうする間にも、原発の状況はどんどん悪化していた。1号機に続いて、3月14日には3号機の建屋が爆発する。15日には2号機と4号機の建屋で爆発や火災が起きた。

 これを受けて当時の馬場有(たもつ)町長=故人=は15日午前、津島からも退避を決意した。町境を越えた隣の二本松市へ、全町民で避難すると決めたのだ。

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 これは町独自の判断だった。政府の避難指示は「20km圏内」だけに出され、原発から約30kmの津島地区は「避難しなくていい地区」とされていた。それが重大な判断ミスだったことが、後に判明する。

 というのも、原発が放出した放射性物質は、プルーム(放射性雲)となって津島の上空を通過し、大量の放射性物質を落としていたからだ。放射線量は浪江町の中心部より津島の方が高かった。それどころか今回の原発事故で最も汚染された地区の一つになっていたのである。

浪江町の津島の一部地区で行われている除染
除染された道路脇だけがきれいになっている(浪江町津島)

 つまり、真っ先に避難しなければならなかったのは、むしろ津島だった。それなのに、あろうことか役場や多くの町民が集まっていた。政府が「事実」を知らせなかったのが原因だろう。

 それでもかろうじて避難できたのは、町長の独自判断があったからだ。町長の決断後、今野さんは区長を務める下津島の全戸を巡回して、逃げるよう呼び掛けた。

「リリーを預かってくれませんか」

 この段階で、同居していた妻と娘は、福島市の親類宅へ避難した。今野さんは独りで残り、翌日の16日にもう一度、下津島の全戸を回って逃げていない人がいるかどうか確認した。

 ゴールデン・レトリバーを引き取った友人宅を訪れると、80歳になろうという友人の父母がいた。今野さんの3代前の下津島区長で、今野さんを地域づくりの活動に引き入れた人物である。尊敬する先輩だった。

 前日避難したはずなのに、戻って来ていたのだった。今野さんが事情を説明する。「元区長の奥さんは農作業中の事故で両足を切断し、車椅子で暮らしていました。自宅は全面バリアフリーに改造していたのですが、避難所では便所にさえ行けません。『とてもいられない』と自宅に戻り、『俺達はもうここに居るよ』と話していました」。

リリーへの愛情は今野さんの職場の福島県社会福祉協議会でも話題になり、出版物にコラムが掲載された

 リリーと“姉妹犬”のゴールデン・レトリバーもいた。そこで今野さんは、「リリーを預かってくれませんか」と頼んだ。

 今野さん自身も妻と娘を追いかけて避難しなければならない。だが、福島市の親類宅は住宅街にあり、大型犬を連れて行けるような環境ではなかった。そもそも「3~4日で帰れる」と思っていた。