日本に住民がゼロの自治体があることを、ご存じだろうか。

 福島県双葉町だ。

 隣の大熊町との間に立地している東京電力福島第1原発が2011年3月に事故を起こし、それから11年が過ぎた今も誰一人帰還できていない。

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 ところが、この町の中心部で「まち歩き」の案内が始まっている。

 住民がいないのに、なぜ。誰が案内しているのか。そもそも町はどうなっているのか。疑問を胸に抱きながら、現地へ向かった。

「帰還困難区域」のいま

 双葉町には大きく分けて、津波にのまれた太平洋岸の地区か、原発事故で将来にわたり帰れないとされた「帰還困難区域」しかない。津波にのまれた地区は、2年前の2020年3月に避難指示が解除された。だが、すぐには水道や下水道などのライフラインが復旧できず、住めるような状態ではなかった。

 この時、ごくわずかではあるが帰還困難区域の避難指示も解除された。町内を貫いて走るJR常磐線が運行を再開し、双葉駅にも停車するようになったからだ。駅舎の周囲に限って指定が外れた。ただ、全て町有地だったので、住民は帰還できなかった。

双葉駅。左が旧駅舎、右が新駅舎
双葉駅に停車したローカル電車。乗降客はいない

 帰還困難区域はバリケードで閉ざされ、許可がなければ立ち入れない。

 このため同区域を抱える福島県内の被災自治体は「早く除染してほしい」と国に要望してきた。政府は突き動かされる形で新しい制度を設け、一部地区を「特定復興再生拠点区域」に指定して除染を進めている。現在、6町村で指定がなされ、双葉町では中心部などが対象になった。同町では早ければ今年の6月にも同区域の避難指示が解除される見込みだ。それに向けた準備宿泊も1月20日に始まった。

町役場が設立した「ふたばプロジェクト」

 こうして、少しずつ帰還に向けた動きは始まっているものの、現時点ではまだ誰も住めない町であることに変わりはない。

 にもかかわらず、世の中の関心は薄れ続けている。町の復旧や復興を待っていたら、もう完全に忘れられてしまいかねない。

 まち歩きによる被災の伝承事業は、こうした現状を背景に、一般社団法人「ふたばプロジェクト」が始めた。双葉町役場が主導して2019年に設立したまちづくり組織である。「双葉町で起こっている出来事を広く知ってほしい」と、住民の帰還を待たずに双葉駅など町中心部で案内を行っているのだ。特定復興再生拠点区域はバリケードが取り除かれて立ち入りができるため、団体からの申し込みなどに応じている。

倒壊したままの寺の門
壊れたままの店

 ただ、同プロジェクトの事務所があるのは、役場が避難している福島県いわき市だ。双葉町から80km近く離れている。このため、双葉駅に設けられた「情報発信・休憩スペース」の常駐職員、小泉良空(みく)さん(25)が中心になって担当している。

 小泉さんは隣の大熊町の出身で、自身もまだ家の避難指示が解かれていない。どんな思いで案内しているのだろう。とても気になりはするが、まずは一緒に歩いた後で話を聞くことにする。