シャッターが壊れた消防団の詰所
駅前から少し歩くと、住民の顔などが描かれた建物がいくつも見える。
「2020年に始まったFUTABA Art Districtというプロジェクトです。駅前に店を構えていた町民が、東京の避難先でアート制作会社の社長と出会ったのが始まりでした。アートで人を呼び込もうという目的で、描かれているのは双葉町に縁があるものばかりです」
信号交差点の両サイドには商店街が延びていた。左に折れると約100m先に消防団の詰所があり、シャッターが押し出されるようにして壊れている。
「これには理由があります。地震の発生直後、双葉町消防団の第2分団では津波被害を受けた地区へ救助に向かおうとしました。ところが、ポンプ車を出そうにも、停電で電動シャッターが開きません。そこで、消防団員がポンプ車に乗ってシャッターを押し開けました。現場へ向かう団員も必死だったんですね」
詰所の正面には時計があり、地震が発生した2時46分で止まっている。壊れたシャッターの隙間から車庫の中が見えた。消防服がそのまま残されていた。
道路の向かいには飲み物と煙草の自動販売機がある。
「この自販機は無事だったのですが、町内には中の小銭を狙って、こじ開けられた自販機がたくさんあります。よく見てください。『新500円玉が使えます』のシールとか、煙草の古いパッケージとか、11年前のままです。値段も安いですね。実は2020年の夏まで、この辺りには自販機さえありませんでした。作業で町に来た人が『買えるのか』と思ってお金を入れてしまうこともありました」
まち歩きの参加者の間では、必ずといっていいほど「お金を入れたらどうなるんだろう」という話になるらしい。小泉さんは「よかったらチャレンジしてみてください」と言ってみるそうだが、これまで誰も入れた人はいない。
11年間取り残された洗濯物
ここで引き返す。
「あーっ、ダルマが取れかけている」。小泉さんが声を上げた。
双葉町では300年前からダルマ市が開かれ、ダルマは町の象徴でもあった。バス停にもダルマのマークが取り付けられていたのだが、長期の避難で劣化が進み、半分取れて垂れ下がっていた。
一帯は空き地ばかりで、「以前からこのような更地だったのですか」という質問がよく出る。「店や家がびっちり建ち並んでいました」と小泉さんが答えると、衝撃を受けた参加者は一様に黙り込む。
「あの家の2階を見てください。洗濯物が干してあります。避難した時、多くの人は翌日か翌々日には帰って来られると思っていました。だから洗濯物もそのままです。県外に避難すると、一時帰宅も容易ではありません。そのままになってしまった家もあるのです。外からだと分かりませんが、泥棒が入ったり、動物が入ったりして、屋内は大変な状態になっています」
そうした家屋や店舗は劣化が早い。地震による雨漏りを直す時間もなく避難を強いられ、天井が落ちたり、床が抜けたりした家もある。特定復興再生拠点区域で進められている除染に合わせ、公費での解体が行われていて、そうした建築物はどんどん更地になっている。
かつてここが商店街だったと言われても、にわかに信じがたいほど空き地が多い。