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「原発事故さえ起きなければ…」11年前、浪江町に取り残されたラブラドール・レトリバーが辿った生涯

「原発事故さえ起きなければ…」11年前、浪江町に取り残されたラブラドール・レトリバーが辿った生涯

東日本大震災から11年 #1

2022/03/11

genre : ニュース, 社会

 元区長は快くリリーの世話を引き受けてくれた。当のリリーはただならぬ雰囲気を感じたのか、車に乗せて元区長宅へ向かおうとすると、なかなか落ち着かなかった。

 福島市の親類宅に到着した今野さんは、ホッと落ち着いて風呂に入っていた時に、不安がよぎった。「もしかしたら、チェルノブイリのようになってしまうのではないか。そうなったら津島は立入禁止にされてしまう。3~4日で帰れると思ったから身一つで来たのに、大丈夫なのか」。だんだん居ても立ってもいられなくなった。「とりあえず撮りだめた写真のアルバムだけは持ち出しておこう」と、妻と一緒に津島へ向かった。

今野秀則さんが、2011年3月16日に避難する直前に撮影したリリー(左側の中央付近)。この日も雪が降った
上記写真のリリーがいる部分の拡大

 3人の子の成長や津島の地域行事などを収めたアルバムは103冊にもなっていた。「家財は買い直せても、写真はできません。車に積めるだけ積んで深夜に福島市へ戻りました」。

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「申し訳ない。でもエサはいっぱい置いてきた」

 一方、元区長夫妻も再度避難を迫られた。翌日の17日深夜、子供達が2台の車で乗り付けて、「ここにいては危ない。とにかく避難してほしい」と必死に説得したのだ。体が小さいゴールデン・レトリバーは一緒に連れて行けたが、大型犬のリリーは残すしかなかった。

 元区長は「申し訳ない。でもエサはいっぱい置いてきた。津島には3~4日に一度は戻る予定なので、そのたびにエサを十分置いて来る」と連絡をくれた。今野さんは、リリーが心配だったが、すぐに連れに行ける状態にはなかった。犬の居場所がなかったのだ。

 娘が4月から県庁に採用されて福島市の官舎住まいになった。今野さん夫妻も2カ所目の避難先として同居させてもらったが、官舎では犬が飼えない。職場の県社協も震災対応で多忙を極めていた。

避難指示が解除されず、人の気配がしない津島。除染土を運ぶダンプだけが目立つ

 次第に「津島方面は放射線量が高そうだ」いう情報が漏れ伝わってくる。元区長には「リリーは元気で、倉庫で番をしてくれている」と聞いていたが、気になって仕方なかった。

倉庫の片隅で、ちょこんと……

 4月9日の土曜日、今野さんはリリーを迎えに行った。

 津島に人の気配はなく、しーんとしていた。自宅で「リリー」と呼んでも姿を見せない。「もしかしたら元区長宅にいるのかも」と、車を回した。リリーは倉庫の片隅で、ちょこんとうずくまっていた。今野さんと分かると、尻尾を千切れるほど振って飛びついた。今野さんも抱きしめる。目頭が熱くなって、「ごめんね」と言った。

 軽トラックで福島市へ運び、風呂の残り湯で体を洗ってやると、リリーは甘えた声を出した。喜んで家の中を歩き回る。

津島の中心部。バリケードの向こうに今野秀則さん宅がある

 とりあえず、福島市の郊外にあるおば宅へ連れて行った。おばは80歳に近い。大型犬の世話は難しく、今野さんが仕事帰りや休みの日に散歩させることにした。リリーは、また今野さんと散歩ができるのが嬉しそうだった。川原を歩くと、ぐいぐい引き綱を引っ張って先導した。

 6月、今野さん夫妻は3カ所目の避難先の同県南相馬市へ移った。5月末で県社協を退職。ちょうど娘の赴任先が同市となり、引き続き娘の官舎に同居させてもらったのだ。ここでもリリーは飼えず、今度は宮城県の妹宅に預かってもらった。今野さんは片道1時間半ほどかけて散歩に通った。