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〈平成ノブシコブシ解散危機〉あの時、ナイフを持っていなくて本当に良かった…徳井健太が振り返る相方への“殺意”が爆発しかけた“楽屋での出来事”

『敗北からの芸人論』より #1

2022/03/10
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 対面からロンの声が上がった時、携帯電話に着信があった。吉村からだった。対局を止め、一旦店を出る。古いビルの、白い壁紙がヤニで黄色くベタついた薄暗い階段の踊り場みたいな所で電話に出ると「ごめん」と謝られた。続けて「もう一度頑張ろう」と言われた。僕はまた小さな声で「分かった」とだけ言った。ヌルッとしたドアノブを捻り、止まっていた卓に戻り再び麻雀を始めた。

2度目の“解散”を止めたものとは

 次の解散騒動は結成8年目くらいだったろうか。

 原因はもう覚えていない。だが当時のマネージャーも同席していたので前回のようなノリとか勢いではなく、お互いにしっかりと「解散しよう」と思っていたんだと思う。

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 当時「ラ★ゴリスターズ」というお笑いユニットを組んでいた。ハイキングウォーキング、ピース、イシバシハザマと僕らの4組でコントやトークをする臨時同盟だ。

 そのユニットでCMもしていた。だから解散となると、そのCMの違約金が発生するから会社として認めるわけにはいかない、と当時のマネージャーは言った。

「じゃあそれを払うから、幾らか教えてくれ」

 僕が言ったのか吉村が言ったのかは記憶にないが、当時のマネージャーを二人で問い詰めた。だが「それは教えられない」の一点張りで、結局その場で解散ということにはならなかった。

 きっとCMの違約金の額を教えなかったのは、僕らの解散を止めるためだったんだろうな、と今は思う。というか、CMもしっかりとしたものではなかったので、そもそも違約金などなかったのかもしれない。ともかく、その当時のマネージャーじゃなかったら、きっとあの時平成ノブシコブシは解散していたと思う。

売れたい相方、面白いと思われたい自分

 コンビ結成10年、M-1グランプリの参加資格ラストイヤーを迎えた。2022年現在は結成15年以内がラストイヤーだが、当時は結成10年がM︲1グランプリの最終エントリーの年だった。

 コンビを組んで10年やっても芽が出なかったら辞めたほうがいい――M-1の生みの親である島田紳助さんのそんなメッセージがこめられた結成10年という縛り。僕らも他のコンビと同様、決勝に出る為のネタ作りに勤しんだ。

 そこで方向性による揉め事が度々起きた。大雑把に言えば吉村はとにかく「売れる為」、僕は売れるよりも「面白いと思われる為」のネタを作りたい。……二人の溝はドンドン大きく深くなっていった。

 だがこれは、どのコンビにも起きることだ。お笑いの大会で賞を獲る為に作品を生むのは間違っている、と今でも思う。結果、賞を獲ったなら、それは素晴らしいことだが、狙いにいって獲った賞に価値はない(長くなるのでこの話はまた別の機会に)。

 ともあれ結果、平成ノブシコブシは一度も決勝に行けず、M-1グランプリから消えた。

相方に抱いた殺意

 ついでなので、我々がまだ兄弟じゃなかった頃に、僕が覚えた3つの殺意について書いてみる。

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